旧家蔵出資料6
伝・頓阿作「柿本人麻呂像」です。
高さ25p。衣冠を着けて髭を生やした老人が、左の肘を肘掛にかけ、右腕は立てた右足の膝上にのせ、詠吟している様子が刻まれています。入手経路は不明です。
頓阿(1289-1372)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の僧・歌人です。浄弁(■-1356)・兼好(1283-1352)・慶運(■-1369)とともに、二条為世(1250-1338)門下の和歌四天王と称されました。鎌倉末期に、和歌三神の一つとして崇められている摂津一の宮住吉大社に、百体あるいは三百体の柿本人麻呂(660-724)像を彫り奉納したと伝えられています。それらの像は、杉の白木で長さ5寸5分といわれ、現在は京都知恩院蔵ほか全国で数体しか確認されていません。
箱には「頓阿法師作 人丸像」と墨書されており、「人麻呂」ではありませんが、平安時代以降「人麻呂」を「人丸」と表記することがあったようです。

高さ25p。衣冠を着けて髭を生やした老人が、左の肘を肘掛にかけ、右腕は立てた右足の膝上にのせ、詠吟している様子が刻まれています。入手経路は不明です。
頓阿(1289-1372)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の僧・歌人です。浄弁(■-1356)・兼好(1283-1352)・慶運(■-1369)とともに、二条為世(1250-1338)門下の和歌四天王と称されました。鎌倉末期に、和歌三神の一つとして崇められている摂津一の宮住吉大社に、百体あるいは三百体の柿本人麻呂(660-724)像を彫り奉納したと伝えられています。それらの像は、杉の白木で長さ5寸5分といわれ、現在は京都知恩院蔵ほか全国で数体しか確認されていません。
箱には「頓阿法師作 人丸像」と墨書されており、「人麻呂」ではありませんが、平安時代以降「人麻呂」を「人丸」と表記することがあったようです。







