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吉田市右衛門(よしだいちえもん)

五代にわたる慈善事業家の系譜 1783から1844年

【三代目市右衛門】吉田宗敏(よしだ むねとし)
出典:吉田家五世の事蹟一斑
【三代目市右衛門】吉田宗敏(よしだ むねとし)
吉田市右衛門墓(宗敬)
埼玉県指定記念物 旧跡
昭和36年9月1日 指定
吉田市右衛門墓(宗敏)
埼玉県指定記念物 旧跡
昭和36年9月1日 指定
【四代目市右衛門】吉田宗親(よしだ むねちか)
出典:吉田家五世の事蹟一斑
【五代目市右衛門】吉田宗載(市十郎と改む)
(よしだ むねのり(いちじゅうろう))
出典:吉田家五世の事蹟一斑

吉田家は代々“市右衛門(いちえもん)”を名乗り、初代から宗以(1703-1792)−宗敬(1739-1813)−宗敏(1783-1844)−宗親(1816-1868)−宗載(1845-1868)と五代にわたり、社会事業家・慈善事業家として、私財を投げ打って物資などを援助し、近隣の村々などから多くの尊敬を集めました。
2代宗敬は村内や近村にかかる橋を石橋に架け替えたり、浅間山の噴火の時に被害者に援助物資を送ったりしました。3代宗敏は用水や河川の改修のためのお金を上納したり、備前掘用水の大改修を行ったり、飢饉への援助を行ったりしました。5代宗載は凶作の時の食糧援助や教育施設への寄付などを行いました。

【三代目市右衛門】吉田市右衛門宗敏(写真右上)

「吉田市右衛門宗敏」と思われる脇差を差した男性が、「丸に三つ星」の家紋の付いた羽織を着て描かれています。上部には「奉公竭力納 衆務施積而 克欲聖賢是 師 乙巳中元前二日 五山桐樵題」と記されています。読み下すと「公に奉じ、力を竭し、衆務を納め、積を施して欲に克ち、聖賢、是師なり」となります。「竭」はつくす、「衆務」は多くの仕事、「克」は欲を努力して押える、「聖賢」は知徳の最もすぐれた人の意です。右下には「静知斎洞薫謹書」と記されています。大正7年11月発行。

備前堀再興記碑(八木田:天保4年(1833))
備前渠用水の復興に尽力した吉田市右衛門への感謝の内容が刻まれている。
 
奈良石:(群馬県明和町:天保13年(1842))
文政年間の洪水の際に、被災民の救済と復興に尽くした吉田市右衛門宗敏の恩義に感謝の意を込め造立したもの。
石工は、名匠宮亀年。

 
  奈良堰用水に掛かる市右衛門橋(玉井)   

年表

和暦 西暦 出来事
元禄13年 1703 四方寺村名主吉田家に宗以(市十郎)生まれる。
享保11年 1726 宗以:四方寺村の吉田家より分家し、下奈良に一戸を創立する。
元文4年 1739 10月1日、下奈良村吉田家に宗敬(久弥)生まれる。
宝暦12年 1762 宗以隠居し加藤と称し、宗敬吉田家2代を継ぐ。
安永5年 1766 宗敬:本家酒造株を譲り受け「奈良泉」を醸造する。
天明7年 1787 宗敬:下奈良村が熊谷宿の助郷に組み入れられた際、村民救済のため幕府に百五十両を上納し、年々利息金を熊谷宿に差し出すこととして、下奈良村の助郷役の免除を許される。
天明3年 1783 浅間山噴火し、流出した土石が利根川に堆積し、利根川本流が備前堀取水口に寄りついて大水の度ごとに欠け広がり、榛沢郡の村々は洪水に見舞われる事態が発生する。
宗敏:9月27日下奈良吉田家の長子として生まれる。市三郎と称す。
寛政元年 1789 宗敬:五百両を幕府に上納し、利息金五十両年々自普請費用の助成とする。
寛政4年 1792 宗敬:三百両を幕府に上納し、利息金三十両を、年々奈良堰十ヶ村組合の普請費用として助成した。
宗以:宗敬が奇特の行為を褒章されたのは親の教えが良いからと、幕府勘定奉行より白銀5枚を賜る。
宗以:10月8日91歳で没す。
文化3年 1806 宗敬隠居して助左衛門と称し、長子市三郎(宗敏)が3代を継ぐ。
文化8年 1811 宗敏:水害・凶作で苦しむ下奈良・四方寺・日向・寄居など近隣の村々の貧民に、大麦六斗入り十俵、種大豆四斗入り三十俵を給付する。
宗敏:下奈良村の貧窮の者一軒につき十両、潰れ百姓に二十両を与え、質地の請け返しをさせる。
文化10年 1813 宗敏:千五百両を幕府に上納し、利殖して元利合わせて三千両になるのを待って、その一割の利息金を熊谷宿問屋場と助郷村々に分配して負担の軽減を図る。
宗敬:10月17日75歳で没す。
文化12年 1815 宗敏:近隣村々の貧民授産施設を作ろうと、千両を幕府に上納したいと願い出るが、私領での開設は許可されなかった。そのため、江戸に土地を購入して貸家を建て、そのあがりで貧民47戸に対し十両〜二十両を与えて田畑を購入させ自立を計った。
文化13年 1816 11月14日宗親(市三郎)下奈良吉田家の長子に生まれる。
文政2年 1819 宗敏:宗敬の7回忌に際し、宗敬の業績を記した碑を宗敬の墓の後ろに建立する。撰:成島司直 書并篆額:賜布狩衣・男谷思考、石工:江戸の名工「窪世祥」。
文政4年 1821 宗敏:旱魃により苦しむ菅沼村・河原明戸村の田地一反につき日雇人夫代銭壱貫文ずつ合計二百両、近隣の村々に井戸掘り一ヶ所金二朱ずつ拠出する。
文政5年 1822 宗敏:利息が年利八分に引き下げられたため、百二十五両を追加上納し、前同様利息金五十両の年々自普請費用の助成を継続できるようにする。七十五両を追加上納し、前同様利息金三十両の年々奈良堰十ヶ村組合の普請費用の助成を継続できるようにする。
文政8年 1825 宗敏:上野国邑楽郡の大輪・須賀・川俣・大佐貫・江口・矢島・中谷・梅原・南大島・入ヶ谷・新里・千津船の十四ヶ村が水害を受け田畑が流失したことに対し、15歳以上の男女に1日一人大麦2升またはその代金を支給する。また、流失家屋には家作料を与え、被災民388人へは扶食として大麦六斗入り三百八十八俵、桑苗4万本、榛苗数万本を与え、開墾費として三百両を差し出す。
文政9年 1826 宗敏:幕府に、玉井堰分三百五十両、大麻生堰分二百五十両上納し、利息金を両堰の普請諸費用として助成する。
文政11年 1828 宗敬:備前堀再興の願い出が許可されると、金五百両を上納し、その利息金8分を年々組合に助成する。
文政12年 1829 宗敬:矢島堰組合へ百両を助成し、普請費用に充てる。
天保4年 1833 備前堀再興と宗敬の功績を後世に伝えるため、備前堀用水組合村々は、撰文を天野昌效に、石工を江戸の名工「窪 世祥」依頼して、備前渠再興碑を弥藤吾村に建立。
宗敏:関東地方の大飢饉に際し、大麦数百俵を近郷村々の貧民に与える。
天保12年 1841 宗敏隠居し、慎助と称し、長子市三郎が4代を継ぐ。
天保13年 1842 上野国邑楽郡十四ヶ村の人々は、水害被害の復興に受けた恩義を後世に伝えるため、紀州の本居大平に撰文を依頼し威徳碑(通称奈良石)を須賀村の利根川堤防上に建立する。
宗親:吉田家4代を継ぐ。
天保15年 1844 7月29日宗敏62歳で没す。
弘化2年 1845 10月9日宗載(四郎)下奈良吉田家の長子として生まれる。
嘉永6年 1853 宗親:ペリー来航に際し、二十四斤砲、十八斤砲、十二斤砲の三長砲を弾薬を添えて幕府に献納する。
慶応2年 1866 宗親:隠居し、長子四郎が5代を継ぐ。
慶応4年 1868 7月10日宗親53歳で没す。
明治11年 1878 社会事業に尽くした功績により、明治天皇北陸・東海巡行の際、羽二重二匹を下賜される。
明治39年 1906 10月2日宗載62歳で没す。

文献

書名 著者名 出版社 出版年
『大里郡郷土誌』p120-121 吉田市右衛門 p171-172 吉田市十郎(第5代) 埼玉民報社 1919
「奈良村の吉田家」(『埼玉史談(旧版) 第5巻第41号』p265-268) 金沢文麿著/埼玉郷土会 1934
「奈良村の吉田家と羽生町の清水家に就いて」(『埼玉史談(旧版) 第6巻第5号』p328-333) 藤野三吉著/埼玉郷土会 1935
「羽生の清水家と成島司直撰文の墓碑銘」(『埼玉史談(旧版) 第6巻第1号』p51-53) 柳八重著/埼玉郷土会 1935
吉田家五世の事蹟一班 浜館 貞吉/著 大日本偉人顕彰会 1936.
『埼玉県人物誌 上巻』p165-172 「吉田市右衛門」 埼玉県立文化会館 1963
『熊谷市史 後篇』p427-428 吉田宗敏 熊谷市 1964
『熊谷の先覚者』p13 慈善家・吉田宗敏(第3代) 第22回国民体育大会熊谷市実行委員会 1967
『新編熊谷風土記稿』p227-230 下奈良村の市えんさま 国書刊行会 1978
「吉田市右衛門」(『熊谷市郷土文化会誌 第36号』p9-13 熊谷市郷土文化会) 小池幹衛著/埼玉郷土会 1981
「吉田市右衛門宗敏と碑石」(『熊谷市郷土文化会誌 第36号』p17-21) 田倉米造著/熊谷市郷土文化会 1981
『熊谷人物事典』p374-377 初代吉田市右衛門から六代吉田市右衛門あり 国書刊行会 1982
『熊谷人物事典』「吉田市右衛門」 日下部朝一郎 1982.
「慈善事業家 「吉田家5代」」(『熊谷市郷土文化会誌 第49号』p2-8 熊谷市郷土文化会) 小池幹衛著/熊谷市郷土文化会 1984
「吉田市右衛門事蹟の一端」(『熊谷市郷土文化会誌 第43号』p114-116) 飯塚貞保著/熊谷市郷土文化会 1988
『新編埼玉県史 通史編 4 近世』p492-495 豪農吉田家の農村復興政策 p515-520 下奈良村吉田家の江戸進出 埼玉県 1989
『市民教養セミナー平成5年度』
慈善事業家吉田家五代
小池 幹衛/著 熊谷市郷土文化会 1993.
「慈善事業家「吉田家5代」」(『熊谷市郷土文化会誌 第49号』) 小池 幹衛/著 熊谷市郷土文化会 1994.
『人づくり風土記 江戸時代 11 ふるさとの人と知恵・埼玉』p323-329 郷土愛し、郷土のために尽くした吉田宗以、宗敬親子 農山漁村文化協会 1995
吉田家五世について 奈良地区青少年健全育成会/〔著〕 奈良地区青少年健全育成会 〔1999.11〕
〔吉田家五世〕 直実市民大学事務局/〔編〕 直実市民大学事務局 〔2002.12〕
「古文書に残る吉田市右衛門の足跡」(『熊谷市郷土文化会誌 第58号』p47-58 熊谷市郷土文化会) 嶽本海承著/熊谷市郷土文化会 2003
「吉田市右衛門家の財政事情」(『熊谷市郷土文化会誌 第59号』p34-39 熊谷市郷土文化会) 嶽本海承著/熊谷市郷土文化会 2004
天保期の「囲籾」御用と関東在々買上籾世話人 栗原 健一/編集 熊谷市教育委員会 2010.03.
『熊谷の歴史を彩る 史跡・文化財・人物』p120-121 慈善家・吉田市右衛門(第3代) 熊谷市立熊谷図書館 2011
熊谷市史料集1吉田市右衛門家文書「記録」 熊谷市教育委員会社会教育課市史編さん室 編 熊谷市教育委員会社会教育課市史編さん室 2014
『熊谷市史研究 第6号』
調査報告 国文学研究資料館・大倉精神文化研究所所蔵 吉田市右衛門家文書についてP98
高橋伸拓・藤井明広 熊谷市教育委員会 2014.03.