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熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)

「日本一の剛の者」と頼朝が絶賛 永治元年(1141)〜建永2年(1207)

 平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて活躍した熊谷郷の武士。源平の合戦での活躍が有名で、源頼朝をして「日本一の剛の者」と言わしめました。しかし、一の谷の戦い(1184年)で、自分の息子と同年代の平敦盛を討ち取ってからは戦場に姿を見せなくなり、出家して名を「法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)」と改め、法然上人(ほうねんしょうにん)の門に入り、修行に励みました。その数奇な一生は、『平家物語』や歌舞伎(かぶき)・浄瑠璃(じょうるり)など文学や演劇の世界でも語られています。晩年、熊谷に戻った蓮生が念仏を唱えるために建てた草庵が現在の熊谷寺(ゆうこくじ)の始まりと言われています。

年表

和暦 西暦 関連事項 時代背景 出典
保延4年 1138年 直実、生まれる   「法然上人行状絵図」から逆算
永治元年 1141年 直実、生まれる   『続群書類従』巻6上の系図から逆算
「直実入道蓮生一代事跡」(蓮池院蔵)
保元元年 1156年 直実、源義朝方として、保元の乱に参加 保元の乱  
平治元年 1159年 直実、源義朝方(悪源太義平)として、平治の乱に参加 平治の乱 『平治物語』
仁安2年 1167年   平清盛、太政大臣となる  
治承4年 1180年 直実、石橋山の戦いに平家方として参加 源頼朝、伊豆に挙兵する 「吾妻鏡」8月23日条
直実、常陸国の佐竹合戦に鎌倉方として参加 石橋山の戦い、富士川の戦い 「吾妻鏡」11月4日条、11月7日条
寿永元年 1182年 直実、佐竹合戦の戦功により、熊谷郷を安堵される   「吾妻鏡」6月5日条
寿永2年 1183年   源義仲、入京する  
寿永3年 1184年 直実、源範頼に従い、宇治川の戦いに参加   『平家物語』
直実、源義経に従い、一ノ谷の戦いに参加、平敦盛を討つ   『平家物語』、「吾妻鏡」2月7日条
文治元年 1185年   壇ノ浦の戦いで、平家滅亡する  
  源頼朝、諸国に守護地頭を設置  
文治2年 1186年   法然上人、大原談義  
文治3年 1187年 直実、鶴岡八幡宮放生会流鏑馬の的立役を拒否、所領の一部を没収される   「吾妻鏡」8月4日条
建久2年 1191年 3月1日、蓮生、子息に屋敷地及び熊谷郷のうち二十町を譲る 源頼朝、政所を設置する 「熊谷家文書」1号
建久3年 1192年 直実、久下直光との所領争いに敗れ、出家する 源頼朝、征夷大将軍となる 「吾妻鏡」11月25日条
直実、伊豆走湯山の専光房に上京を諫止される   「吾妻鏡」12月11日条、12月29日条
建久4年 1193年 蓮生、法然の門を叩く   「自筆誓願状」の記述から逆算
建久6年 1195年 2月9日、蓮生、子孫への置文を書く   「熊谷家文書」252号
蓮生、京都より参向し、源頼朝に仏事・兵法を語る   「吾妻鏡」8月10日条
このころ、「東行逆馬」「十念質入」の故事が生まれる    
建久7年 1196年 蓮生、念仏三昧院(後の粟生光明寺)を建立する    
建久9年 1198年   法然上人、選択本願念仏集を著す  
元久元年 1204年 5月13日蓮生、鳥羽にて上品上生の往生を発願する、67歳 比叡山の大衆、専修念仏の停止を訴える 「自筆誓願状」「法然上人行状絵図」
元久2年 1205年   興福寺の貞慶、専修念仏の停止を訴える  
元久3年 1206年 10月2日、蓮生、夢記を記す   「自筆誓願状」(後半部分)
建永元年 1206年 8月、蓮生、武蔵国村岡の市に立札し、明年2月8日の往生を予言する   「法然上人行状絵図」
建永2年 1207年 9月4日、蓮生、熊谷にて没する 朝廷、専修念仏を禁止
法然上人、土佐へ流される(建永の法難)
「法然上人行状絵図」
蓮生、高野山知識院にて没する、84歳   「熊谷系図」(「熊谷家文書」)
承元2年 1208年 蓮生、京都東山草庵にて没する   「吾妻鏡」10月21日条
蓮生、没する、68歳   『続群書類従』巻6上(「平姓熊谷系図」)
蓮生、京都黒谷にて没する、68歳   『続群書類従』巻6上(「北条系図」)
承元3年 1209年 9月14日、蓮生、熊谷にて没する、84歳   『続群書類従』巻6上(「熊谷系図」)
建暦2年 1212年   法然上人、没する  
承久3年 1221年 9月14日、蓮生、熊谷にて没する   「熊谷家代々系図」

エピソード

〈宇治川の先陣争い〉

 源頼朝軍と京都の源義仲軍とが、京都の宇治川で合戦を行った時の逸話です。義仲軍は頼朝軍の入京を阻むため、宇治川にかかる橋の橋板を外してしまい、橋げたのみが残っている状態でした。そこで熊谷直実・直家父子は、先陣の功名をあげようと、橋げたを足場にして敵陣に向かっていき、敵からの攻撃に対してはお互いをかばいながら、先陣争いを行ったということです。

〈東行逆馬の逸話〉

 出家して蓮生法師となり、京都で法然上人のもと修業に励んでいる際、故郷熊谷へ一時帰ることとなりました。その時、西の方にはお釈迦様がいらっしゃるという教えを守り、お釈迦様にお尻を向けることはできない、と馬の鞍を前後反対に乗せ、西に正面を向いて馬に逆さに乗ったまま、熊谷までの帰路についたという逸話です。

〈十念質入の逸話〉

 京都から熊谷まで帰る途中、旅のお金が無くなった蓮生法師は、今の静岡県藤枝のあたりでそこの土地の長者である、福井氏からお金を借りようとしました。その際に、質草として蓮生法師が「南無阿弥陀仏」と十回唱えると、十体の阿弥陀様が現れ、阿弥陀様を質草としてお金を借り、熊谷へ帰りました。そして京都へ戻る際に、福井氏に借りたお金を返し、「南無阿弥陀仏」と九回唱えると阿弥陀様が蓮生法師の口から吸い込まれて行きました。そして残りの一体をご本尊として、福井氏はお寺を建立し、蓮生法師に帰依したということです。

〈円光塚〉

 一の谷の戦いで傷を受けた愛馬「権田栗毛」を熊谷次郎直実が解き放った際、「権田栗毛」は故郷の熊谷を目指して帰ろうとしたが、この地で力尽き息絶えたため、村人が憐れんで葬り、建てた墓がこの円光塚と伝えられています。
 石碑には、熊谷寺中興開山の幡随意上人(1542-1615)自筆と伝えられる「汝是畜生発菩提心転生性」と刻まれています。

〈駒形明神社〉

 熊谷次郎直実の愛馬「権田栗毛」を祀った社と言われており、『新編武蔵風土記稿』に「昔万吉村の権田某が熊谷直実に与えし栗毛の駿馬、一の谷の軍果て黒谷に廻り、古郷に帰れよとて乗捨てしとき、其の馬遠路を越此所に来り死せしによりて崇め祀るところとなり云々」と記されています。

文献

書名 著者名 出版社 出版年
絵本熊谷蓮生一代記 偉業館 1887.11.
蓮生山熊谷寺開山蓮生法師略伝 藤井俊光 1904.09.
熊谷直実 大屋 徳城/著 法文館 1913.
軍扇をすてゝ 藤浪 萍江/作 熊桜社 1925.
蓮生房直実 小林 蒙魂朗/著 栃木県女子師範学校附属小学校 1927.
熊谷蓮生物語 酒井 天外/著 酒井惣七 1936.
時代小説代表選集 昭和27年度版 日本文芸家協会/編 湊書房 1952.
『熊谷市郷土文化会だより第5号』
熊谷次郎直実の出生地並に終蔦地考
小沢 国平/著 熊谷市郷土文化会 1963.
熊谷直実 熊谷市文化連合/編 熊谷市文化連合 1969.
熊谷蓮生坊文書 埼玉県立図書館/編 埼玉県立図書館 1969.
蓮生坊絵詞 埼玉県立熊谷図書館/編 埼玉県立熊谷図書館 1970.
熊谷直実 熊谷市文化連合/編 1970.
熊谷之次郎直実 小沢 国平/〔ほか〕編 熊谷次郎直実公銅像建設協賛会 1974.
『日本史探訪第10集』
熊谷直実
唐木 順三/著 角川書店 1978.
『熊谷市郷土文化会誌第35号』
直実養育説一考
日下部朝一郎/著 熊谷市郷土文化会 1980.11.
『熊谷人物事典』「熊谷次郎直実」 日下部朝一郎 1982.
熊谷直実の伝承 石田 拓也/〔著〕 〔大東文化大学〕 1983.
熊谷法力房蓮生法師伝 漆間 和美/著 漆間 和美 1985.07.
法然寺の熊谷直実縁起 石田 拓也/〔著〕 〔大東文化大学〕 1986.
浮世絵にみる中山道と熊谷直実展 立正大学教養部/編,
立正大学/編
立正大学教養部 1986.
法然上人をめぐる関東武者 熊谷直実のこと 梶村 昇/著 知恩院 1987.
熊谷直実の上品上生往生立願について 赤松 俊秀/編著 熊谷市立図書館 1987.
熊谷法力房蓮生法師 :
熊谷次郎直実の生きた道
漆間和美/著 熊谷法力房蓮生法師奉賛会 1987.09.
『熊谷市郷土文化会誌第44号』
熊谷直実駒つなぎの松
寺井 初五郎著 熊谷市郷土文化会 1989.11.
中世初期東国武士の生活意識と精神の再構成 亀山 純生/〔著〕 東京農工大学 〔1990〕
『市民教養セミナー平成3年度』
熊谷次郎直実公
渡辺 洵一郎/著 熊谷市郷土文化会 1991.
熊谷入道蓮生の信仰と法然浄土教 亀山 純生/〔著〕 〔東京農工大学〕 1991.
熊谷直実と法然 中西 随功/著 大法輪閣 1991.
平家物語 日本古典文学大系 梶原正昭 岩波書店 1991.06.
歌舞伎・浄瑠璃にみる「熊谷直実物」 〔野島 寿三郎〕/著 〔熊谷市立図書館〕 1991.07.
直木三十五全集 第20巻 (中短篇小説集 続) 示人社 1991.07.
熊谷直実 梶村 昇/著 東方出版 1991.11.
『文書館紀要第7号』
「熊谷蓮性記」にみられる異体字
長谷川 宏/著 埼玉県立文書館 1994.03.
『立正大学地域研究センター年報第20号』
熊谷氏の族的結合の結成;熊谷直実の歴史的位置
高橋 和弘/著 立正大学地域研究センター 1997.03.
絵本・熊谷次郎直実一代記 :
永久にきらめく郷土の星
熊谷市立図書館
美術、郷土係/編
熊谷市立図書館 1998.09.
『埼玉英傑伝』
青葉の笛 熊谷直実p.97-110
宝井 馬琴/著 さきたま出版会 1998.10.
熊谷蓮生房 [親鸞会]/編集 とどろき出版社 (1999)
熊谷直実 熊谷市文化連合/編 熊谷市立図書館 1999.10.
直実・蓮生研究第1号 直実・蓮生を学ぶ会/編 直実・蓮生を学ぶ会 2001.03.
中世熊谷の館跡と武士団について 井上 善治郎/〔著〕 井上善治郎 〔2001.07〕
直実と平家物語について 松岡 淳一/編 〔松岡淳一〕 〔2001.11〕
絵本・玉津留姫と千代鶴姫 福島 茂徳/著 福島茂徳 〔2002.11〕
絵本熊谷次郎直実公その先祖と子孫 福島 茂徳/製作 福島茂徳 〔2003.01〕
熊谷次郎直実・法力房蓮生法師の研究 熊谷市立図書館/編 熊谷市立図書館 2003.03.
絵本創立蓮生山熊谷寺之歴史 福島 茂徳/製作 福島茂徳 〔2003.04〕
絵本平直貞の熊退治の話 福島 茂徳/製作 福島茂徳 〔2003.08〕
『熊谷市郷土文化会誌第58号』
熊谷直実に関する基本図書
松岡 淳一/著 熊谷市郷土文化会 2003.11.
浮世絵・熊谷次郎直実展 :
絵でよみがえる・熊谷次郎直実の100態
熊谷市立図書館
美術、郷土係/編
熊谷市立図書館 2004.10.
絵本権田栗毛物語 福島 茂徳/製作 福島茂徳 〔2005.10〕
『中央史学第30号』
鎌倉御家人熊谷氏の系譜と仮名p103〜124
柴崎 啓太/著 中央史学会 2007.03.
熊谷次郎直実蓮生とその時代 桜井 英勝/編 〔桜井英勝〕 2007.04.
『文書館紀要第21号』
熊谷直実の出家に関する一考察問注所の移転をめぐってP3〜21
森内 優子/著 埼玉県立文書館 2008.03.
熊谷次郎直実出家の謎 馬場範明 歴史研究50(6) 2008.06.
安芸山県熊谷氏誌 :熊谷次郎直實後裔八百年史 熊谷慶夫/著 熊谷瑞鳩舎 2008.08.
直実蓮生11話 熊谷市立熊谷図書館
美術郷土係/編
熊谷市立熊谷図書館 2008.10.
『熊谷市郷土文化会誌第64号』
「熊谷家文書」建久二年の「熊谷蓮生譲状」について82〜87p
大井 教寛/著 熊谷市郷土文化会 2008.11.
郷土の雄熊谷次郎直実 熊谷市立熊谷図書館
美術、郷土係/編
熊谷市立熊谷図書館 2010.03.
熊谷直実勇名と殺生の狭間で〔1巻〕 熊谷 かおり/著 熊谷市立図書館 2010.05.
熊谷直実勇名と殺生の狭間で〔2巻〕 熊谷 かおり/著 熊谷市立図書館 2010.09.
届け!直実の心意気 埼玉新聞/編 熊谷市立熊谷図書館 2012.06.
『熊谷市史研究 第6号』
熊谷家文書「熊谷蓮生譲状」の再検討P117
大井 教寛 熊谷市教育委員会 2014.03.
熊谷直実 高橋 修/著 吉川弘文館 2014.09.
『横山忠弘著作集』
直実公の遺徳と栄光を慕った後商連の足跡P252〜257
熊谷次郎直実(蓮生)と後商連P270〜282
横山 忠弘/著 歴研 2015.08.
『熊谷市郷土文化会誌 第71号』
「熊谷次郎直実と平山季重」
平井 加余子 熊谷郷土文化会 2015.
『熊谷市郷土文化会誌 第71号』
「熊谷蓮生法師ゆかりの寺」
鯨井 邦彦 熊谷郷土文化会 2015.
熊谷次郎直実 浮世絵 澤田記念文庫/編,澤田 将信/編 澤田記念文庫 2016.01.

関連情報

熊谷次郎直実像

 熊谷駅前の熊谷次郎直実像。昭和49年10月に、北村西望氏が、渡辺崋山の描いた直実挙扇図を元に制作したブロンズ像。馬上で、平敦盛を呼び止めようとする姿をあらわしている。

宮沢賢治歌碑

 市内仲町の国道17号線脇八木橋百貨店前に建てられている宮沢賢治の歌碑。正面には「熊谷の 蓮生坊が たてし碑の 旅はるばると 泪あふれぬ」と刻まれている。1916年9月に、宮沢賢治を含む盛岡高等農林学校2年生が、秩父地域の地質巡検のため熊谷に宿泊した際に詠まれたもの。

蓮生寺(念仏堂)

 幡随意上人が熊谷寺を中興した時、蓮生法師が建てたとされる念仏草庵を、箱田に移したことが始まりとされるお寺です。移した後、荒れてしまった草庵を善念という僧が再建したとされています。その時の話として、観音・勢至菩薩を丹波国から運んだ話、紀伊国屋文左衛門が阿弥陀如来像を寄進した話など、このお寺に関する数々の逸話が伝えられています。

千形神社

 直実の父である直貞の「熊退治」に関する逸話にまつわる神社です。直貞が熊を退治した際に、熊から血が流れ、その場所に社を建てて「血形明神」を祀ったとの言い伝えがあります。江戸時代には境内で草相撲が行われ、神社には相撲の板番付が奉納されています。

熊谷奴稲荷神社

 直実が戦場にあった時、身辺を護ってくれる者が いたため名を問うと、「そなたが信仰する稲荷の化身だ。」と言って消えてしまいました。そのため、 直実は戦場から帰ると屋敷地内に祠を建てて祀ったという言い伝えが元になっている神社です。江戸時代には特に男の子を病魔から守るため、髪を奴姿に刈って、神仏の加護を受けようとしたことから「奴稲荷」と呼ばれるようになりました。

熊野堂(くまんどう)

 直実の父である直貞が、当時、この地に出没していた熊を退治してその首を埋め、そこにお堂を建てたと伝えられている場所です。現在はお堂はなく、石碑が建っているのみです。

動画公開

YouTubeから大きい画面でご覧いただけます。
絵本 熊谷次郎直実 第一部「日本一の剛の者」
絵本 熊谷次郎直実 第二部「坊さんになった直実」