中山道と史跡・文化財

22.奈良堰用水

奈良堰用水と吉田市右衛門橋

玉井・別府地域を南北に走る用水。江戸時代、荒川の水を得るための水利権をめぐって様々な闘争が行われるなど、農業用の水確保は重大な課題であった。そのため農業の不作などが生じるなどの事態が生じ、安定した穀物の生産が難しかった。

この状況に対して、18世紀後半、奈良村の慈善家、吉田市右衛門(三代、宗敏)は多額の私費を投じ、用水路の整備を行った。先ず、引水している各地域間における水利の格差を少なくさせるため、荒川から各地域へ流れる奈良堰、玉井堰、大麻生堰などの整備を行い、その後、用水路の再整備を行った。この恩義に地元農民は感謝の意を込めて、用水に掛かる橋に対して「市右衛門橋」と名付けた。中山道と奈良堰用水の交わる橋においてもこの名前が残されている。
 

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