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絵馬堂

作品 名称 作者 詳細 年代 所蔵者
紺屋 建物の右手には、左手に籠を持ち、右手に藍甕の中に柄杓を入れる男性が描かれ、左手には反物を広げた帳場の様子が描かれる。 天保年間 實相院
藍染めの図 水に溶けない藍を、土中に埋められた藍甕に入れて発酵させた後、糸を染める様子が描かれる。 實相院
紺屋 建物の一階左の部屋では、藍甕に入れた藍で糸を染める作業が行われており、右の帳場では、染めた反物を販売しています。2階では、型紙の図案を描いている男性が描かれています。家の外には、染めた反物を干す作業が描かれる。 天保10年 實相院
藍玉作り 手前左の蔵では男性二人が藍玉を作り、右手の家では、女性6人と男性1人が藍甕に糸を入れて染めています。奥の家では帳場の様子が描かれる。 明治16年 實相院
尾高藍香奉納額 「明治21年3月8日 共進 成業 唯頼 冥護 西武藍商等謹白 筆尾高藍香」と記される。「共に進みて業を成し、唯(ただ)冥護に頼る」と読め、藍染業の発展について仏の加護を祈念して奉納されたもの。 明治21年 實相院(江南文化財センター寄託)
曽我兄弟 紅澤雪兆画 建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件を題材にしたもの。地元世話人の名前が額外に記載される。武士の装いも特徴的で、彩色の残りも良好。
雪兆(1800-1885):下三俣村(加須市)に生まれ。姓を堀越、名を豊瑞、または紅澤、通称文太郎、雅号を雪兆と号した。幼い頃より絵師を志し江戸に出て谷文晁に師事しその後、上野下谷の池の端に住む巻立兆に師事し京画を学ぶ。慶応元年(1865)法橋の位を得て、のちに絵師として最高位の法眼となる。
【参考文献・資料】
・立正大学北埼玉地域研究センター『熊谷の絵馬 庶民の祈りと暮らし』1992年
天保14年(1843) 實相院
孔子の図 古代中国の儒家孔子(紀元前552-紀元前479)を描いたもの。 天保2年(1831) 實相院
伊勢神楽絵馬 岩田霞岳 伊勢神楽の様子を描いたもの。
岩田霞岳(1828-1890):画家。武田実庵に師事し漢学を学び、16歳の時、江戸に出て山岳を師として絵を学ぶ。晩年は熊谷(仲町)に帰り門弟の指導にあたる。
明治13年(1880) 實相院
黒馬図 法量:81.5x139.5cm
狩野派の画風による堂々たる大絵馬で、江戸中期以後のものとされています。図の下部に奉納者の連名がありますが、作者名や印は解読できません。左足を高く上げ、後ろ足で飛び勇む姿は、力量ある素描構成からくるもので、大きさと作品の良さからも非常に優れたものです。
江戸 伊弉諾神社
相撲絵馬2枚 北尾重光 伊奘諾神社の社殿修築のため、二所ヶ関部屋を中心とした江戸本場所相撲を呼び、勧進相撲を催した時の奉納絵馬として伝えられている作品です。絵は北尾重光の作で、浮世絵師の北尾重政の流れを汲む絵師と考えられています。力士の面々や見物客などが克明に描かれ、当時の相撲風景を知るよい資料です。 江戸 伊奘諾神社
相撲絵馬2枚 北尾重光 伊奘諾神社の社殿修築のため、二所ヶ関部屋を中心とした江戸本場所相撲を呼び、勧進相撲を催した時の奉納絵馬として伝えられている作品です。絵は北尾重光の作で、浮世絵師の北尾重政の流れを汲む絵師と考えられています。力士の面々や見物客などが克明に描かれ、当時の相撲風景を知るよい資料です。 江戸 伊奘諾神社
参宮絵馬 伊勢参宮の様子が描かれる。 嘉永4年
(1851)
出雲乃伊波比神社
拝み・僧 描かれている地蔵は元禄11年(1698)造立された地蔵。
江戸時代、江戸から中仙道を進んでいた平井権八が、久下堤で信州の商人に遭遇し、その商人の持金を奪って殺してしまった。ふと傍を見ると石地蔵が立っていることに気づいた。権八に良心が甦ったか地蔵に向かって「このことは、誰に言ってくれるな」と、地蔵は「我は言わぬが汝言うな」と口をきいたという逸話が言い伝えられています。
年代不明 権八地蔵堂(久下)
歓喜天(山岡鉄舟)書  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:明治14年(1881)11月
 奉 納 者:山岡鉄太郎
 絵画・書揮毫者:山岡鉄太郎
 寸   法:84p×176p
 額縁構造:中甲丸
 内   容:山岡鉄舟は、幕末に妻沼の地を訪れており、歓喜院には明治14年宮内省侍従官として額を納めている。鉄舟独特の書法、雄揮な草書体で「歓喜天」と書かれている。
山岡鉄舟(1836-1888):幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。剣・禅・書の達人としても知られる。幕末の三舟と称され、山岡鉄舟・勝海舟・高橋泥舟とともに文武に秀でた。
明治14年(1881) 歓喜院聖天堂
鶏羅山  奉納場所:歓喜院聖天堂
奉納年月日:明治10年(1877)6月
 奉 納 者:上州木崎駅 齋藤惣四郎寿題
 絵画・書揮毫者:東海晴湖(奥原晴湖)
 寸   法:80p×60p
 額縁構造:彫刻 昇竜
 内   容:見事な彫刻が小型ながら額物に施され芸術性の高い絵馬。
鶏羅山(けいらせん):カイラス山(Kailash/Kailas)と呼ばれるチベット高原西部に位置する独立峰(標高6,656m)で、歓喜天の国土とされている。
東海晴湖(1837-1913):幕末から明治期の画家。野口小蘋とともに明治の女流南画家の双璧といわれ、また安田老山と関東南画壇の人気を二分した。上川上村(現・熊谷市)に居を構え、画室を「繍水草堂」「繍佛草堂」「寸馬豆人楼」などと称して作品を発表。その画風は密画が多く、非常に鮮やかで色彩豊か、細密な筆致で描かれた。
明治10年(1877) 歓喜院聖天堂
歓喜天  奉納場所:歓喜院聖天堂
奉納年月日:明治45年(1912)
 奉 納 者:東京美術画会 会主 田部井文吉 同長女 千代子
 絵画・書揮毫者:志村房之 
 寸   法:
 額縁構造:甲丸(蒲鉾型)、飾り銅板
 内   容:銅板で「歓喜天」と表した額。
明治45年(1912) 歓喜院聖天堂
崇徳而廣業  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:元治2年(1865)
 奉 納 者:46名記載
 絵画・書揮毫者:
   寸   法:138p×245p
 額縁構造:彫刻 雲龍
 内   容:見事な彫刻が額物に施され芸術性の高い絵馬。
崇徳而廣業(そうとくこうぎょう):徳を崇め業を廣む。人に役立つことを大切にして仕事をすれば、おのずと事業も拡大するとの意。
元治2年(1865) 歓喜院聖天堂
鶏羅崛  奉納場所:歓喜院聖天堂
奉納年月日:明治18年(1885)1月
 奉 納 者:武蔵国比企郡増尾村 酒井万五郎
 絵画・書揮毫者:斎大周
 寸   法:78p×154p
 額縁構造:平 飾り銅板
 内   容:銅板で「鶏羅崛」と表した額。
鶏羅崛(けいらくつ):カイラス山(Kailash/Kailas)と呼ばれるチベット高原西部に位置する独立峰(標高6,656m)で、歓喜天の国土とされている。
明治18年(1885) 歓喜院聖天堂
聖天尊  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:大正13年2月27日(1924)
 奉 納 者:群馬県前橋市 前橋敬神会 講員外150名
 絵画・書揮毫者:
 寸   法:
 額縁構造:甲丸(蒲鉾型)
 内   容:
大正13年(1924) 歓喜院聖天堂
永代常燈  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:宝暦12年(1762)正月
 奉 納 者:善ケ島村 小林善八
 絵画・書揮毫者:
 寸   法:69p×44p
 額縁構造:袖付
 内   容:永代常燈:常に心の不浄を焼き払い家内安全を祈るもので、神仏に帰依するために、心の汚れを焼き清める役割をもつ「火」を灯すことを意味するもの。
宝暦12年(1762) 歓喜院聖天堂
韓信の股くぐり  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:元治元年(1864)3月1日
 奉 納 者:榛沢郡新戒村 願主 石川熊次郎業純
 絵画・書揮毫者:研香金壽 
 寸   法:84p×176p
 額縁構造:平 飾り銅板
 内   容:「韓信の股くぐり」を題材とした絵画。韓信は、漢の高祖に仕えた将軍で、張良・蕭何と共に漢の三傑と呼ばれた。韓信が若い頃、喧嘩を売られたが、大志を抱く身であったから争うことを避け、言われるまま股の下をくぐるという屈辱をあえて受けたが、その後韓信は大成し、天下統一のために活躍したという故事。将来に大望のある者は、目の前の小さな侮りを忍ぶべきという戒め。
 研香金壽:上毛画壇の一人。上州島村の豪農・画家の金井烏洲(1796-1857)の末弟。
元治元年(1864) 歓喜院聖天堂
川中島合戦  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:安政3年(1856)4月
 奉 納 者:谷川屋連中(外数十名)
 絵画・書揮毫者:岩崎栄昌
 寸   法:144p×217p
 額縁構造:甲丸(蒲鉾型)、飾り銅板
 内   容:永禄4年(1561)9月10日に信州善光寺平の川中島で、甲州武田信玄と越後上杉謙信が交戦した際の、馬に乗った謙信と地上で軍配で防御する信玄の代表的な構図が描かれている。
岩崎栄昌:江戸末期の郷土画家。新田岩松家の御用絵師であった飯塚村岩崎栄益の門人。
安政3年(1856) 歓喜院聖天堂
花鳥のうた  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:
 奉 納 者:
 絵画・書揮毫者:岩崎栄益
  寸   法:118p×413p
 額縁構造:彫刻
 内   容:豪壮な額縁で瀧水波浪の彫刻を施す。絵画は王朝貴婦人の十二単衣に桜の花を描いている。短歌作者筆頭に、本庄 五福亭笑福、深谷 伊勢子正直の名が記されており、以下続く。江戸期の短歌の結社社中が聖天堂に奉納した華麗で豪壮な仕立ての絵馬。
岩崎栄益:江戸末期の郷土画家。新田岩松家の御用絵師を勤め、文化11年(1814)に再建された永井太田の能護寺本堂の格天井や板戸に、金井烏洲、樋口春翠らと花鳥風月を描く。
歓喜院聖天堂
武蔵岩怪力  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:明治34年(1901)1月
 奉 納 者:善ケ島 羽鳥良平外勧進元
 絵画・書揮毫者:書 須永悟楼 絵 金子霞邨
 寸   法:180p×275p
 額縁構造:甲丸
 内   容:善ケ島村出身の武蔵岩(羽鳥良平)が、土俵上で横たわり腹上に米俵二俵と臼と舟を重ね、船上で力士が6人餅をつき杵を振り上げ、餅を降らしている様子が描かれている。善ケ島龍泉寺境内での興業とされている。武蔵岩は、怪力と堂々たる体躯であったが、家業が農家であり両親の許しが得られないため入幕せず、その力量の発揮を惜しまれたといわれる。
【参考文献・資料】
・妻沼町文化財調査研究会『妻沼聖天山本殿奉納絵馬 国指定重要文化財「歓喜院聖天堂」』 2005年
明治34年(1901) 歓喜院聖天堂
聖天堂  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:明治24年(1891)3月
 奉 納 者:須田志奈
 絵画・書揮毫者:画 長谷川薫州 彫師 高澤个之輔信如
 寸   法:204p×182p
 額縁構造:彫刻
 内   容:明治中期の聖天堂の景観が描かれている。桜の咲く仁王門や籠堂、鐘楼、聖天堂の拝殿、幣殿、本殿の八ツ棟権現造りの屋根、本殿の三方が木造塀垣根で囲まれている。願主、夫人、子供揃って参拝の様子を描き、当時の境内の状況を伝える貴重な美しい絵馬。額縁も龍に波浪の彫刻が施され、唐草が添えられている。
明治24年(1891) 歓喜院聖天堂
聖天山真景  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:明治8年(1875)3月
 奉 納 者:上州利根郡沼田村 願主 小林善治郎
 絵画・書揮毫者:永井太田 荻原春山
 寸   法:182p×327p
 額縁構造:甲丸(蒲鉾型)、飾り銅板
 内   容:明治初年の貴惣門、仁王門、籠堂、鐘楼、本殿、五社明神と右下に歓喜院山門、本坊本殿、書院の聖天山の景観が描かれる。
荻原春山(1821-1897):本名千代吉。清泉斉春山と号し、道能、白梅軒とも称す。永井太田村に生まれる。9歳のとき能護寺住職鳳旭師に画の手ほどきを受け、次いで、中条の樋口春翠や狩野洞章らに師事して本格的に画道に精進したが、天保9年(1838)父の死により画筆を捨てて家業に励む。嘉永3年(1850)家を弟信有に譲って江戸に学び、諸国を遊歴ののち、宅地内に隠居所を構えて、画の道に専念する。明治15年東京で開かれた第1回内国絵画共進会に埼玉県の画人として、「神宮皇后像」等を出品し、続いて、明治17年の第2回内国絵画共進会に出品して埼玉画人の名を高めた。
明治8年(1875) 歓喜院聖天堂
歓喜天  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:明治20年(1887)3月
 奉 納 者:幡羅郡小島村 野村権三郎
 絵画・書揮毫者:嶺外史昭泰
 寸   法:148p×185p
 額縁構造:彫刻 龍図
 内   容:明治期の聖天堂拝殿、鐘楼、籠堂、聖天堂前の天水桶一対、参拝人、燈籠、狛犬、参道左側に土蔵造りの太子堂、南口の参道が描かれている。額縁も豪華で、彫刻は昇龍を四方に配し、瀧を昇っている。彫刻師は、上州花輪の尾嶋住、高澤个之輔信如。
明治20年(1887) 歓喜院聖天堂
夫婦雉子  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:明治27年(1894)3月
 奉 納 者:妻沼 須田可津
 絵画・書揮毫者:江森天淵
 寸   法:90p×121p
 額縁構造:甲丸(蒲鉾型)、飾り銅板
 内   容:歓喜天の眷属(けんぞく:使者)である「雌雄雉子」を色鮮やかに描き、紅白の皐月と蘭を添えている。夫婦和合、円満、繁栄を祈願し奉納したもの。
江森天淵(1857-1921):幡羅郡用土村(現寄居町)の日本画家。父朝比奈錦香から画技を学び、江戸の福島蜚ヲに学ぶ。明治14年(1881)帰郷し幡羅郡東方の江森家に入婿となる。山水画を得意とし花鳥画もよくした。明治43年日本美術協会から多年にわたる優作出品により功労者として表彰された。
明治27年(1894) 歓喜院聖天堂
武芸 鼎弘流柔術創始小沼直吉  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:大正2年(1913)2月9日
 奉 納 者:下増田 小沼直吉
 絵画・書揮毫者:書 武井敏敬 由緒書 金井貢
 寸   法:181p×435p
 額縁構造:彫刻 龍図
 内   容:歓喜院最大の奉納額。額縁は四方彫刻で、上枠は一対の龍、左枠は下り龍、右枠は昇り龍、下枠は唐獅子一対を配して、豪壮で重量感に溢れている。彫刻は熊谷玉井の小林栄吉。額面中央に小沼直吉の肖像を陽刻し、左右に雲に乗る烏天狗一対を配し、額架けは彫刻の唐獅子一対で保持している。本額の設計は、妻沼宿門前田島佐一。講道館指南役柔道山下義昭、大日本武徳会教士の剣道高野佐三郎の名が連なり、深井勘右ヱ門、船田三千雄起倒流柔術免許皆伝の強豪の名が連ねている。
金井貢:明治期の衆議院議員で、大日本武徳会の要職に就いて能書家。出生地は妻沼井上家で、上州尾島の金井家に養子となる。
小沼直吉:鼎弘流乱内股の柔術を考案し、妻沼聖天に願をかけて世に広く小沼流として喧伝された。
小林栄吉:熊谷市玉井出身の彫物師。上州花輪村の彫刻師の系列に連なる。秩父・高崎の屋台も手掛ける。
大正2年(1913) 歓喜院聖天堂
武芸 永代護摩  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:
 奉 納 者:起倒流柔術 深井勘右衛門景周
 絵画・書揮毫者:荒井源十郎 四分一
 寸   法:179p×209p
 額縁構造:彫刻 龍図
 内   容:武芸奉納絵馬。豪華な額縁に彫刻をあしらい、上下枠に龍二頭、左右枠は昇り龍を彫り込んでいる。中央に刀架に鎖鎌を付けている。
深井勘右衛門(1770-1832):江戸時代後期の柔術家。起倒流を埼玉県に伝える。愛知県豊川市生まれ。14歳で江戸に上がり、起倒流柔術を学び、武者修行の旅に出る。寛政10年(1798)鴻巣宿宮地の深井家に滞留、邸内に道場を開設して多くの門人を育成した。
歓喜院聖天堂
武芸馬庭念流  奉納場所:歓喜院聖天堂
 奉納年月日:嘉永7年(1854)4月
 奉 納 者:新井丈吉知澄外4名
 絵画・書揮毫者:田部井源兵衛 源盈時
 寸   法:172p×282p
 額縁構造:彫刻 亀、流水、水波
 内   容:武芸奉納絵馬。豪華な額縁に彫刻をあしらう。
 田部井源兵衛(1829-1896):上州世良田村生まれ。江戸に出て砲術を学び帰郷して新田の岩松俊純公に召出され師範を務める。馬庭念流を上州新田郷から武州方面に広め、馬庭念流永代免許を許される。剣腕の強さで鬼源兵衛と称された。
嘉永7年(1854) 歓喜院聖天堂
歓喜院奉納額 松崎家初代福松 この絵馬は、児玉郡本荘仲町(現・本庄市)の江森忠四郎が奉納したもので、中央には龍が下部には波の装飾が描かれています。左側に、「児玉郡本荘町 人形師米福■ 松崎福松」と記されています。
 米福は、松崎家の屋号です。松崎家は、「造りもの」ほか、菊人形、山車人形の制作も手掛けており、本庄市・太田市・足利市・佐野市・館林市などでも、その作品が確認されています(福原敏男:2014)。
 参考:福原敏男「等身大人形の造り物」『はれのかたち』岩田書院
明治 歓喜院聖天堂