年 表
| 和 暦 | 西 暦 | 日 付 | 出 来 事 |
|---|---|---|---|
| 元和9年 | 1623 | 荒川の洪水により、荒川土手が決壊し、池が出来たと伝えられる。その池は清らかな水が湧き出たことから「玉の池」と呼ばれ、この湧水が星川の源となる。 | |
| 明治初め | 竹井澹如が、「玉の池」のほとりに別邸(「池亭」)を建て、樹木・名石を集めて庭園とする。 | ||
| 明治前半 | 大徳寺の牧宗禅師が、清らかな水の流れを見て「星溪」と称する。 | ||
| 明治4年 | 1871 | 竹井澹如が、松平忠吉から、天柱石・袖振り石を譲り受け、「玉の池」に配置する。 | |
| 明治11年 | 1878 | 9月1日 | 明治天皇が北陸東海巡幸に際し、熊谷宿本陣に宿泊し、袖振り石・天柱石をご覧になる。 |
| 明治12年 | 1879 | 7月 | 漢詩人小野湖山が訪れ、漢詩を詠む。 |
| 明治17年 | 1884 | 8月8日 | 昭憲皇太后が星溪園に立ち寄り、「此君亭」で休憩する。 |
| 明治19 〜25年 |
1886〜1892 | 内海良大が訪れ「小望月の 又おときかぬ 清水かな」「合歓の 葉も眠りさまして 今朝の秋」と詠む。 | |
| 明治32年 | 1899 | 3月21日 | 渋沢栄一が立ち寄り、昼食をとる。(『渋沢栄一伝記資料第29巻 渋沢栄一日記』455頁) |
| 大正6年 | 1917 | 4月22日 | ホトトギス吟行会(虚子・月舟・一水・零余子・鳴潮・的浦・たけし・瓜鯖・岫雲)が立ち寄る。(『ホトトギス』「舘林、太田、妻沼、熊谷吟行の記」第20巻第9号 大正6年) |
| 大正10年 | 1921 | 9月16日 | 秩父宮が「此君亭」に宿泊する。 |
| 大正13年 | 1924 | 10月12日 | ホトトギス吟行会(山口青邨・一水・たけし・夏山・三七)が、福田村(現滑川町)でのきのこ狩りの帰りに、「星溪園」に立ち寄り「茸」「秋山」を題に句会を催す。熊谷の俳人田島一宿・江口?波・古山秋紅・雄美・岡野孤童・中川迂呆が参加。(『ホトトギス』「秋の一日」第28巻第4号 大正14年) |
| 昭和5年 | 1930 | 竹井耕一郎、「積翠閣」を建てる。 | |
| 昭和7年 | 1932 | 高浜虚子の武蔵野探勝会一行(星野立子・夢香・露文・たけし・素十)が訪れる。 | |
| 昭和8年 | 1933 | 竹井耕一郎、星溪園の由来および小野湖山の漢詩を記した「星溪園記碑」を星溪園に建てる。 | |
| 昭和20年 | 1945 | 8月15日 | 熊谷空襲で、「此君亭」「四阿」が焼失する。 |
| 昭和25年 | 1950 | 11月 | 東大ホトトギス会の吟行で山口青邨が訪れ、熊谷夏草支部と合同句会を催し、「夕紅葉 鯉ハ浮くまま 人去りぬ」と詠む。 |
| 昭和29年 | 1954 | 11月3日 | 「星溪園」と命名し、市の指定文化財名勝に指定する。 |
| 昭和34年 | 1959 | 5月 | 斎藤紫石の句碑「老いらくの 苔に花咲く 心地かな」が斎藤紫石講演会によって造立される。 |
| 昭和35年 | 1960 | 9月18日 | 斎藤紫石句碑の除幕式が行われる。 |
| 昭和41年 | 1968 | 「玉の池」の湧水が枯渇したため、成田用水から「玉の池」に暗渠で水を引き入れる工事が行われる。 | |
| 昭和55年 | 1980 | 5月 | 鹿児島寿蔵が訪れ「熊谷草 なくてかなはじと 星池に 植えて福布くしき 花を咲かしむ」と詠む。 |
| 昭和57年 | 1984 | 10月 | 山口青邨の句碑「夕紅葉 鯉ハ浮くまま 人去りぬ」が、夏草埼玉県支部により造立される。 |
| 平成2 〜4年 |
1992〜1994 | 星溪寮・松風庵・積翠閣が、老朽化により建て替えられ、庭園が再整備される。 | |
| 平成15年 | 2003 | 3月 | 国土交通省の「荒川をめぐる旅100選」に指定される。 |
| 平成19年 | 2007 | 彩の国景観賞2007「心にうるおい部門」受賞。 | |
| 平成31年 | 2019 | 3月 | 鹿児島寿蔵の歌碑「熊谷草 なくてかなはじと 星池に 植えて福布くしき 花を咲かしむ」が、鹿児島寿蔵熊谷草歌碑建立呼び掛け人により造立される。 |






