芭蕉句碑。
「春もやや 気色ととのふ 月と梅」
造立年:寛政4年(1792)
高:92㎝、幅70㎝
碑裏には、「太蕪」「秋瓜」の句と、天明から寛政期にかけて活躍した熊谷の俳人「官鯉」「笑牛」「雪叩」の名が刻まれており、江戸時代中期に、江戸に居住した俳人と熊谷の俳人の交流がうかがえる碑となっています。
太蕪(■-1774):古川太蕪。江戸時代中期の俳人。佐久間柳居(本名長利:1686-1748)の跡を継ぎ伊勢派(芭蕉晩年の弟子乙由が開いた流派)を維持した。
秋瓜(■-1790):多少庵秋瓜。江戸時代中期の俳人。佐久間柳居(本名長利:1686-1748)に学び、のち柳居の弟子古川太無(■‐1774)の門人となる。別号に止弦、松籟庵。句集に「多少庵句巣」、編著に「もゝとせ集」などがある。
官鯉(江戸時代後期):竹井新右衛門。江戸後期の熊谷宿の本陣竹井家当主。書家の野口雪江の門人で、雪江の俳諧・書道における後進の育成に携わりました。
笑牛(1728-1796):須賀市左衛門長栄。建部涼袋門下の俳人、商人。熊谷宿で油商を営む。小林一茶の『知友録』にも記されている。
雪叩(1732-1799):野口雪江。若い頃より学問にはげみ、17歳で肥塚の東有隣から経史を学び、18歳の頃江戸に出て、当時名声のあった書家の関思恭に入門し、書道を研鑽した。博識で書道に秀で、寛政9年(■)弟子の勧めにより、東京浅草の浅草寺に「仏身円満無背相」「十方来人皆対面」なる般若讃の中の語句を書いた両聯を奉納し、世の書家から「寛政の三名筆」として讃えられました。
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