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弥生時代の遺物

弥生土器

文様や器形などから中期中葉、中期後半古・中・新段階、中期末、後期初頭、後期前半の7期に区分されます。その様相から中期後半新段階に在地系が終焉を迎え、中期末には長野県北部を中心に広がる栗林式土器が主流となります。そして後期は新たな櫛描文(くしがきもん)土器が展開します。なお栗林式土器以外にも他地域の土器が僅かながら出土しており、北陸地方の小松式(中期中葉)、東北地方南部の川原町口(かわらまちぐち)式や南関東地方の宮ノ台式(中期後半)などが出土しています。

石器

農具

農具には、石鍬(打製石斧)があります。形状は撥(ばち)形、分銅(ふんどう)形、有肩(ゆうけん)形など様々です。長さが20p程の大形のものが多数出土しています。主な石材は粘板岩(ねんばんがん)やホルンフェルスです。石鍬は棒状の柄にひもでくくりつけ、土を耕す道具として使用されました。

狩猟具

狩猟具には、打製(だせい)と磨製(ませい)の石鏃(せきぞく)があります。打製は基部に茎(なかご)を持つものと持たないものがあります。磨製は茎を持たず、矢にひもでくくりつけるための孔(あな)が1つあけられています。打製は在地産、磨製は長野県北部地域からの搬入品と考えられます。いずれも小形であることから小動物を狩るために使用されたと考えられます。

工具

工具には、磨製石斧(ませいせきふ)や磨石(すりいし)、台石(だいいし)があります。磨製石斧は、太形蛤刃(ふとがたはまぐりば)石斧と扁平片刃(へんぺいかたば)石斧があります。石材は緑色岩で長野県北部地域からの搬入品です。太形蛤刃石斧は、棒状の柄に装着し、伐採の際に使用されました。最も大きいものは全長23.1pを測り、県内では朝霞市新屋敷(あらやしき)遺跡出土例と並び、最大級の大きさです。扁平片刃石斧は、木材を削るなど細部を加工する際に使用されました。磨石と台石は、土器などの着色に使用する赤色顔料(ベンガラ)を細かく砕くための道具です。いずれも鏡のような光沢が認められ、一部に少量の赤色顔料が残存しています。

調理具

調理具には、凹石(くぼみいし)、扁平磨石(へんぺいすりいし)、敲石(たたきいし)などがあります。これらは植物質食料を粉砕する際に使用されました。

祭祀具

独鈷石(どっこいし)

独鈷石とは、仏具の独鈷杵(とこしょ)に似ていることから名づけられた磨製石器です。縄文時代に多くみられますが、弥生時代でも東日本において出土例があります。一種の両頭石斧であり、中央に柄を付けて祭祀具、あるいは斧として使用されたと考えられています。独鈷石は1点のみ古墳時代後期の竪穴住居跡から出土しましたが、周辺は弥生時代中期後半の竪穴住居跡が密集する箇所であり、石材が磨製石斧と同じく緑色岩であることから長野県北部地域からの搬入品と考えられます。

石戈(せっか)

石戈とは、中国や朝鮮半島から伝わった武器形青銅器の銅戈(どうか)を模倣して製作された日本独自の祭器です。前中西遺跡では2点出土しており、石材は粘板岩です。ともに長野県北部地域からの搬入品です。1例目は後期初頭の方形周溝墓から出土しました。ほぼ中央部分の破片ですが、「樋(ひ)」と呼ばれる溝が刻まれています。2例目は中期後半中段階の竪穴住居跡から出土しました。ほぼ全形の分かる優品で「樋」に複合鋸歯文(ふくごうきょしもん)と呼ばれる文様が描かれています。複合鋸歯文が描かれた銅戈の模倣品は、新潟県吹上遺跡に土製の出土例がありますが、石戈としては本例が全国初となります。

その他

環状石斧(かんじょうせきふ)

環状石斧とは、円盤中央に孔があけられ、周縁に刃が形成された石器です。棒状の柄を中央の孔に装着して使用されたと考えられています。用途は不明ですが、土掘り具、あるいは戦闘用の武器など諸説あります。1点のみ後期初頭の竪穴住居跡から出土しました。石材は安山岩です。

玉類

勾玉(まがたま)

勾玉は2点出土しています。石材は翡翠と粘板岩です。大きさは翡翠製が2p、粘板岩製は4p程です。翡翠製は遺構外出土ですが、出土地点周辺は弥生時代中期後半中段階〜中期末の竪穴住居跡が密集することから弥生時代の遺物と考えられます。翡翠は国内では新潟県糸魚川流域でしか採れないものであることから長野県北部地域を経由してもたらされたと考えられます。粘板岩製は中期後半新段階の竪穴住居跡から出土しました。

管玉(くだたま)

管玉は後期初頭の木棺墓と中期後半新段階の礫床木棺墓から出土しています。木棺墓からは碧玉製の6点が出土しています。礫床木棺墓では、4基中2基から赤玉石製53点、緑色凝灰岩製108点の計161点が出土しています。赤玉石は主に新潟県佐渡で採れるものであることから翡翠と同じく長野県北部地域を経由してもたらされたと考えられます。
勾玉は2点出土しています。石材は翡翠と粘板岩です。大きさは翡翠製が2p、粘板岩製は4p程です。翡翠製は遺構外出土ですが、出土地点周辺は弥生時代中期後半中段階〜中期末の竪穴住居跡が密集することから弥生時代の遺物と考えられます。翡翠は国内では新潟県糸魚川流域でしか採れないものであることから長野県北部地域を経由してもたらされたと考えられます。粘板岩製は中期後半新段階の竪穴住居跡から出土しました。

その他

形状は様々ですが、大きさが2〜3pと小形で孔がみられることから首飾りと思われます。石材は翡翠や粘板岩です。翡翠製は中期後半中段階、粘板岩製は中期後半新段階の竪穴住居跡から出土しました。

土偶(どぐう)・土偶形容器(どぐうがたようき)・顔面付土器

土偶・土偶形容器は5点、顔面付土器は1点出土しています。 土偶・土偶形容器は肩(1)、腕(2)、顔(3)など部分的、あるいは頭と腕を欠損した状態(4・5)で出土しました。時期は中期中葉から中期後半中段階までに収まります。
顔面付土器(6)は、壺の口縁部片で左目一部と耳が付けられた痕跡が認められました。中期後半中段階の竪穴住居跡から出土しました。