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東武熊谷線廃止決定

第2期工事の中止後、東武鉄道から工事延長申請が提出されたものの、その後工事は再開されることは無かった。
昭和36年10月30日、群馬県太田市、大泉町をはじめ地元地区13市町村の人々により「東武鉄道妻沼・大泉貫通促進期成同盟会」が結成され、東武鉄道に対し、建設促進の要望を繰り返し行いました。
しかし、採算の見通しの立たない東武鉄道は、昭和47年12月27日、東武鉄道単独による建設は困難であり、国鉄との調整もつかず建設は不可能であると関係機関に表明しました。昭和49年8月20日、運輸大臣あてに営業未成線廃止の許可申請を提出し、同年9月7日に許可を受けました。これにより、利根川橋梁の構築物撤去工事が行われ、昭和54年3月31日に工事が完了しています。
昭和53年1月に、東武鉄道は、年間2億円を超す赤字を理由に東武熊谷線の廃止を表明しました。それを受け、東武鉄道妻沼・大泉貫通促進期成同盟会は、あくまでも廃止反対を唱え、関係機関と以後数年に渡り話し合いが続けられましたが、歩み寄ることはできず、昭和55年8月19日、東武鉄道から「地方鉄道熊谷線の運輸営業廃止」についての文書が提出されました。
昭和57年8月、熊谷市・妻沼町と東武鉄道で、東武熊谷線廃止の合意が成立し、9月に調印が行われ、昭和58年5月31日限りでの廃止が決定しました。
線路の撤去された線路敷(妻沼駅付近) 妻沼駅に設置された熊谷線廃線反対の看板
(昭和57年撮影)
妻沼駅に止まる「さよなら妻沼線」と書かれた
ヘッドマークを付けたキハ2000形気動車
(昭和58年5月撮影)
熊谷線営業停止記念ヘッドマーク
熊谷線営業停止記念乗車券(限定1万組)
さよなら熊谷線記念メダル(限定3000組) さよなら熊谷線記念メダル(限定3000組)
「さよなら熊谷線」記念スタンプ 「さよなら熊谷線」記念スタンプ(妻沼展示館蔵)