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幡羅官衙遺跡群(西別府祭祀遺跡ほか関連遺跡群)について

 幡羅官衙遺跡群は、深谷市幡羅官衙遺跡から続く幡羅郡家にかかわる西別府遺跡・古代寺院の西別府廃寺・祭祀場跡の西別府祭祀遺跡からなる熊谷市西部に位置する飛鳥時代〜平安時代の遺跡群です。
これら3つの遺跡が有機的に機能していたことが確認された郡家は、全国でも岐阜県弥勒寺官衙遺跡群(美濃国武儀郡家)に次いで2例目の確認となります。
遺跡群の範囲は、現在そのほとんどが農地として利用されており、当時の景観を非常に良く残していることから、郡家の実態に迫ることができる情報量が豊富に残されている貴重な遺跡であると考えられます。

 

西別府遺跡

 深谷市幡羅官衙遺跡から続く遺跡で、深谷市域では、幡羅郡家にかかわる正倉・実務官衙域(館など)・道路跡等が確認されています(深谷市:2006、2007、2008、2009、2010)。
  熊谷市域での発掘調査は、平成15年度に予備調査、平成16年度に第1次調査、平成20年度に第2次調査、平成21年度に第3次調査、平成22年度に第4次調査を実施しています。
  出土遺物は、土師器・須恵器・土師質土器、当時の高級食器である緑釉陶器や灰釉陶器などの土器のほか、隣接する西別府廃寺に使われた軒丸瓦・軒平瓦などが確認されています。
  西別府遺跡域には、幡羅郡家の政庁(郡庁)が存在する可能性が高いと推測されています。

西別府祭祀遺跡

 湯殿神社が所在する台地の縁辺部周辺に位置し、7世紀後半から11世紀前半に至るまで連綿と行われた水辺の祭祀(湧泉祭祀)の跡で、湯殿神社裏の湧水地点を中心にして、7世紀後半の石製模造品と7世紀末以降の土師器・須恵器などが多数出土しています。
 水の恵みを願う7世紀後半の石製模造品を主に用いた祭祀が、7世紀末から8世紀初頭にかけて郡家が整備されたことにより郡家に所属する公の祭祀へと変遷し、9世紀後半には願文や吉祥文字を墨書した土器などを用いた祭祀へと変化していったことが推測されています。

西別府廃寺

 8世紀初頭から9世紀後半まで存在した古代寺院で、郡家の郡寺の機能をもつ寺院であったと考えられています。
調査は、平成2年度に第1次調査、平成4年度に第2次調査、平成28年度に第5次調査が実施され、多量の瓦、瓦塔、土師器、須恵器、鉄釘等が出土しています。なお、第3・4次調査は西別府遺跡と同じです。
 寺域は、東西150m、南北200m程の規模で、幅5m程の区画溝で区切られていたと推定されます。寺の伽藍配置については部分的な発掘調査のため不明ですが、基壇を持つ建物跡が1棟確認され、30m程の距離を置いて並列していた建物の存在(版築地業跡)も推定されています。
 また、寺域内に小鍛冶工房の竪穴建物跡が3棟検出されており、釘等の寺の建築部材を供給する工人が住んでいたことも推測されます。