現在の位置:ホーム > 熊谷文学館 > 狂歌 > 平山蘆江

平山蘆江(ひらやまろこう)(1882-1953)

文人。神戸生まれ、本名は壮太郎。実父の死後に長崎の酒屋、平山家の養子になった。日露戦争中満州に渡り、帰国後は「都新聞」などの花柳・演芸欄を担当。大正15年長谷川伸らと第1次『大衆文芸』を創刊。都都逸、小唄の作詞も行う。作品に『唐人船』『西南戦争』など。
・荒川の桜堤を詠んだ歌。
「江戸から ここまで 熊谷の堤 花の廊下の 月あかり」


大正~昭和初期の荒川桜堤(絵葉書:大正~昭和初期)

「おかいこぐるみか 熊谷町は 桑の青葉の 中にある」


熊谷富士見町通(絵葉書)