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宮崎 利秀(みやざきりしゅう)(1919-1982)

文芸家、教師。大正8年(1919)伊勢崎市に生まれ、すぐに妻沼町錦町(現熊谷市妻沼)に転居。昭和12年(1937)熊谷中学校(現県立熊谷高校)を卒業、横浜高等工業(現横浜国立大学工学部)を経て、17年(1942)東京工業大学機械工学科を卒業。熊谷中学校の同級生には、金子兜太(1919-2018)がいた。
戦後、進駐軍東部88部隊に、英語通訳として勤務する傍ら、『東京ジョー』を出版。その後、英語教師として、上溝女子高校、橋本農学校、桜美林学園、田名中学に勤めたが、リウマチに罹患し、昭和26年(1951)に帰郷し、母校の熊谷高校教師となり、翌年市内大麻生に転居した。

・母校熊谷高校へ妻沼から東武熊谷線で通勤した際に詠んだ句。リューマチのため手足の自由がきかず洋服が着られないので和服・下駄ばき姿で通勤した。
「下駄ばきの 一教師たり 稲の花」


大我井神社 句碑

・初めて東武熊谷線に乗った際に乗った際の句
「風花や ふるさとの汽車 ひとまれに」

・東武熊谷線について詠んだ区
「妻沼線 のろのろなるとき 曼殊沙華」
 
「「カメの子号」の 二両連結 竹も秋」

「ふるさとの 汽車のろのろと かぎろへり」

・熊谷高校へ自転車通勤の際に詠んだ句
「向ふ岸は みなつつがなし 曼殊沙華」

・熊谷測候所の脇を通った際に詠んだ句
「測候所の 旗は晴天 ユッカ咲く」

・妻沼街道にて詠んだ句
「自転車に 日傘傾け 女学生」

・十余年ぶりにふるさと妻沼に落ち着いて詠んだ句
「風花や ふるさとの町 ふるき友」

・妻沼聖天山歓喜院にて詠んだ句
「おんまなこ ほそめたまへり 甘茶仏」

・大麻生の田中神社にて詠んだ句
「野の川の 杜をはなるる 黄葉期」

・金子兜太の熊谷の新居に30余年ぶりに訪れて詠んだ句
「風が鳴る 冬木めぐらす 兜太の家」
「片流れして 兜太居の 樹々芽ぐむ」

「春惜しむ 兜太と俳句の 話はせず」
「兜太がそこに 夏痩せ知らぬ 男ぶり」
「我も肌脱ぎ 兜太褌にて 対座」
「兜太夫人 団扇の風を 絶やさずよ」

・金子兜太について詠んだ句
「兜太より 賀状体調 いかがとのみ」
「裸の兜太 烏賊のごとくには あらざりき」
「一人静 兜太と歩む 虚子句碑へ」
「冬陽に病む 近くて遠き 兜太の家」

・さきたま古墳について詠んだ句
「昔ながらの 芽吹きさきたま 古墳群」

参考文献

  • 昭和58年『金銀花』宮崎利秀 きたむさし文化会