寺内遺跡第1次範囲確認発掘調査
1992年1月

調査地区: 熊谷市柴地内 調査面積: 約3,000u
調査期間: 平成4年1月20日〜11月30日 調査機関: 江南町教育委員会
調査原因: 範囲確認調査

検出遺構: 平安時代基壇建物跡4棟・住居跡9軒 特記事項: 平安時代の寺院跡で、金堂・講堂・中門・東塔跡と推定される基壇建物跡を確認。各基壇建物跡は、概ね良好に遺存しており、古代地方寺院の構造を解明する上で貴重な遺跡であると考えられる。出土遺物も、墨書土器・瓦・銅製鈴・鏡・鉄釘・鉄鎌・塑像・鉄滓・羽口など多岐・多量に渡っている。
所 見: 今回の調査は、東西570mの規模で存在する寺院跡の中心部に遺存する、各基壇建物跡の性格を把握するために実施されたものです。
 幸いなことに、これらの基壇建物は、ゴルフ場の残存緑地として現状で保存されることが決定され、1994年には、「寺内古代寺院跡」の調査・保存および活用をはかるため、「寺内廃寺調査指導委員会」が設置されました。そして、現在まで4次(寺内遺跡第2次範囲確認調査・中島遺跡第1次調査・中島遺跡第2次調査・寺内遺跡第3次範囲確認調査)に渡る発掘調査と、地下レーダーによる寺跡南限施設の確認調査を行っています。1998年には、中心伽藍部分が町の指定史跡に指定されています。
 寺院跡のほとんどは、未だ未調査で、山林として良好な状態で現状保存されています。このように、地方の古代寺院が、開発を免れ、現在まで良好な状態で残存していることは、非常に稀な例であると言えます。
 今後さらに調査を進め、古代地方寺院の構造・古代地方の仏教文化の実態の解明が少しでも解明できればと考えます。

写真をクリックすると、個々の拡大写真が表示されます。

(1)寺内古代寺院跡中心伽藍航空写真(南より)
手前より中門・金堂・講堂跡の順番で直線的に建物が配置されていました。
  (2)寺内古代寺院跡全体図
北辺溝570m、東辺溝170m、西辺溝200mで囲まれた約129,000uの範囲の中に、東院集落、講堂・金堂。中門・東塔跡などが確認されています。
(3)金堂跡航空写真(南西より)
基壇の上に礎石が並ぶ状況が確認できます。基壇の規模は、15.2m×13.7m、復元される建物は、5×4間の3間四面庇付建物で床を張り、正面の3間と背面の1間に階段が取り付くと推定されます。屋根は、寄棟または入母屋の構造であったと推定されます。
  (4)金堂跡確認状況
礎石は、桁行五間・梁間四間の30箇所の柱位置を確認しています。基壇の南西隅を中心とした12箇所が良好に遺存しています。
 また、身舎(もや)の礎石周囲には、束石が配置されており、床を張った建物であったことが推定されます。礎石は、それぞれに被熱を認め、赤変または崩壊している礎石があります。

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