寺内遺跡第1次発掘調査
1991〜92年

調査地区: 熊谷市柴地区 調査面積: 約51,000u
調査期間: 1991年7月22日〜1992年5月25日 調査機関: 江南町千代遺跡群発掘調査会
調査原因: ゴルフ場造成

検出遺構: 平安時代住居跡68軒・掘立柱建物跡1棟・寺院区画溝 特記事項: 寺内古代寺院跡の寺地区画溝を北辺で570m、西辺200m、東辺170mが確認され、寺院地面積約129,000uの広大な規模を有していた古代寺院であったことが判明。
所 見:  調査当初、寺跡との関係を想定できなかった溝の跡が、寺院の中心伽藍を囲むように検出されたことから、寺院地の区画施設であると調査途中で気がつきました。溝からの出土遺物は少なく、なかなか時期の決定は難しいですが、覆土中層より、天仁元年(1108)噴火の浅間Bの火山灰が検出され、寺院の廃絶後徐々に埋まっていったことがうかがえます。
 北辺で約570m、上面幅6mを測るこの溝は、現地で実際に歩いてみるとかなり長大で、平安時代に、江南地区に国分寺に匹敵する大規模な古代寺院が存在していたとは、正直驚きました。
 今回の調査箇所は、現在ゴルフコースとなっていますが、その他は、ゴルフ場の残存緑地として現状保存されており、平成10年には、中心伽藍部分が町の指定史跡に指定されています。
 また、中心伽藍の基壇建物部は確認調査を行い、1994年には、「寺内古代寺院跡」の調査・保存および活用をはかるため、「寺内廃寺調査指導委員会」が設置されました。そして、現在まで4次に渡る発掘調査と、地下レーダーによる寺跡南限施設の確認調査を行っています。
 今後さらに調査を進め、古代地方寺院の構造・古代地方の仏教文化の実態の解明が少しでも解明できればと考えます。

写真をクリックすると、個々の拡大写真が表示されます。

(1)寺内古代寺院中心伽藍部航空写真(西より)
林の伐採部分、左より講堂・金堂・中門跡の建物基壇が一列に並んでいる状況が確認できます。
現在、ゴルフ場の残存緑地として保存されています。
  (2)寺内古代寺院跡全体図
北辺溝570m、東辺溝170m、西辺溝200mで囲まれた約129,000uの範囲の中に、東院集落、講堂・金堂。中門・東塔跡などが確認されています。
(3)北辺寺地区画溝確認状況
当初は、各調査区で確認された大きな溝としか考えませんでしたが、東西端の調査区で、溝が南へ折れることが確認され、寺を囲む北辺540mの大きな溝であることに気がつきました。
  (4)北辺寺地区画溝完掘状況
伽藍の中軸線上にいちする部分で、溝が大きく北側へ張り出しています。張り出した部分には多数のピット、溝の肩の部分には橋脚様のピットが確認され、外部への出入施設が存在した可能性が考えられます。

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