吉田六左衛門(よしだろくざえもん)

吉田宗孝書山王霊神碑
名主。奈良村大字四方寺(現熊谷市)で代々名主を務める。吉田家は、戦国期に忍藩主の成田下総守長康に仕え、忍城落城後の天正期に四方寺に土着したと伝えられる。屋敷一町、内構へ堀から外構へ300町歩、石数五百石以上あり、寛永年間より酒造を行い、「四方春(よものはる)」を醸造した。村人は「六ぜんさま」と尊称し、分家の茂左衛門を「茂ぜんさま」「御西」と呼んだことに対し、六左衛門本家を「御東」とも呼んだ。
初代宗道(■‐1618)、2代宗栄(■‐1639)、3代宗貞(■‐1662)を経て分家し、11代宗孝(■‐1862)、12代宗梯(■‐1881)、13代六郎(■‐1911)。3代宗栄から分家したのが茂左衛門(お西)、6代宗重の第3子市十郎が享保11年下奈良に分家し、代々社会事業に尽くした吉田市右衛門初代宗以となる。
初代宗道(■‐1618)、2代宗栄(■‐1639)、3代宗貞(■‐1662)を経て分家し、11代宗孝(■‐1862)、12代宗梯(■‐1881)、13代六郎(■‐1911)。3代宗栄から分家したのが茂左衛門(お西)、6代宗重の第3子市十郎が享保11年下奈良に分家し、代々社会事業に尽くした吉田市右衛門初代宗以となる。
参考文献
- 『熊谷人物事典』日下部一郎 1982年






