現在の位置:ホーム > 熊谷の偉人の部屋 > 熊谷Person dictionary> 佐藤熊次郎正貫

佐藤熊次郎正貫(さとうくまじろうまさつら)(1850-1927)

彫刻師。玉井村(現熊谷市)で3代続いた彫刻師の系統の初代。
正貫は、嘉永3年(1850)に玉井村に生まれ、同村の彫刻師小林栄次郎(■〜1898)について彫刻を学び、後上京して後藤功祐の弟子となって腕を磨きました。
作品は、群馬県渋川市真光寺、長野県茅野市頼岳寺の彫刻を子の幸吉(■〜1963)とともに手掛けています。また、神奈川県大山阿夫利神社不動堂、埼玉県小鹿野町不動尊向拝彫刻(1889)、秩父市本町屋台軒支輪彫刻(1890)、東秩父村大内神社(1897)、深谷市瑠璃光寺本殿彫刻、深谷市鹿島神社神楽殿(1927)などを手掛け、この他、上州および児玉地方の屋台彫刻も多数手掛けています。
東秩父村大内神社本殿彫刻は、2年がかりで精緻な彫刻を完成させています。胴羽目は、南面が応神天皇誕生、背面が天岩戸、北面が素戔嗚尊の大蛇退治となっています。背面の木札には、「彫工 当国大里郡玉井 佐藤正貫謹刻」と刻まれています。
昭和2年(1927)4月に没しています。法名慈徳院麗光熊道居士。
・東秩父村大内神社本殿彫刻
     
 東秩父村大内神社本殿  同左北面:素戔嗚尊の大蛇退治  同左背面木札「彫工 当国大里郡玉井村 佐藤正貫謹刻」
・深谷市下手計の鹿島神社神楽殿彫刻
この神楽殿は、明治40年に旧八坂神社神輿奉安所を改修したもので、欄間に彫刻が施されています。当神社には上杉謙信にまつわる伝承が残されており、彫刻の題材は上杉謙信の必勝祈願の様子を彫ったものと伝えられています。彫刻裏面には、「當国玉井之住 七十七翁 佐藤正貫 謹刻」と刻まれています。
ちなみに上杉謙信の伝承とは、「上杉謙信が26歳の時、小田原攻めに際し、群馬県前橋市粕川町の滝沢不動尊を訪れて必勝祈願に不動明王の右手肘から先を戦のお守りにしようと切り落とした。途中、埼玉県深谷市の鹿島神社に立ち寄り、宿にして寝ていたところ「この腕を持っていると戦に負ける」との神からのお告げがあった。そのため、戦には持っていかず、境内に埋めた。のちに村人が大切に祀り、現在は鹿島神社の不動明王の胎内に奉納されているという。それゆえ、滝沢不動尊は「片手不動」とも呼ばれている」というものです。
     
 深谷市鹿島神社神楽殿  同左欄間彫刻 同左欄間彫刻裏面「當国玉井之住 七十七翁 佐藤正貫 謹刻」