小林栄次郎(こばやしえいじろう)(1834-1898)
彫刻師。小林丑五郎の子で、小林源八四代目。技を川原明戸村(現熊谷市川原明戸)の小川専蔵に学ぶ。秩父市三峰神社、秩父神社手水舎、神川町金鑚神社、皆野町国神神社(1901)、長瀞町諏訪神社(1898)、群馬県玉村八幡宮随身門(1865)、東京都国分寺市府中国分寺(正面唐破風兎毛通しの鳳凰・中備の八方睨み龍)に作品が残されている。他に、秩父市中山田屋台(1850)秩父市中近笠鉾(1880)、秩父市山田諏訪神社(1880)、小鹿野町不動尊(1889)、秩父市本町屋台軒支輪彫刻(1890)、小鹿野町春日町屋台(1872)、秩父市廣見寺扁額(1896)、熊谷市第一本町区山車彫刻(1898)がある。
秩父市廣見寺扁額は、明治29年建造の下郷笠鉾の万燈に取り付けられていたが、明治末年に電線架設により笠鉾での曳行が困難となったことから、大正6年に取り外し、廣見寺の扁額に転用したものです。
秩父市中山田屋台の鬼板裏には、「嘉永三年十一月吉日 彫工彩色 小川専蔵義長 門弟 文若 栄次郎」、秩父市本町屋台軒支輪の収納箱(1890)に「明治二三年幡羅郡玉井村彫工小林栄次郎 同村佐藤熊次郎銘」と墨書されている。この時栄次郎は16歳。
明治2年(1869)奉納の、玉井大神社奉納額「御供之餅」を彫刻している。
秩父市廣見寺扁額は、明治29年建造の下郷笠鉾の万燈に取り付けられていたが、明治末年に電線架設により笠鉾での曳行が困難となったことから、大正6年に取り外し、廣見寺の扁額に転用したものです。
秩父市中山田屋台の鬼板裏には、「嘉永三年十一月吉日 彫工彩色 小川専蔵義長 門弟 文若 栄次郎」、秩父市本町屋台軒支輪の収納箱(1890)に「明治二三年幡羅郡玉井村彫工小林栄次郎 同村佐藤熊次郎銘」と墨書されている。この時栄次郎は16歳。
明治2年(1869)奉納の、玉井大神社奉納額「御供之餅」を彫刻している。
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| 熊谷市指定有形民俗文化財 「山車」 | 秩父市山田の中山田屋台 | 同左前鬼板裏墨書 |
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| 秩父神社手水舎 | 皆野町国神神社 | 長瀞町諏訪神社 |
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| 秩父市中近笠鉾 | 秩父市山田諏訪神社 | 小鹿野町不動尊向拝 |
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| 秩父市本町屋台軒支輪 | 同左収納箱墨書 | 小鹿野町春日町屋台 |
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| 秩父市廣見寺扁額 |
参考文献
- 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎















