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荻野綾三郎(おぎのあやさぶろう)(1809-1873)

役人・実業家。綾三郎は、文化6年(1809)に、俵瀬村(現熊谷市)で、代々名主を務める荻野家に生まれました。天保5年(1834)26歳で、俵瀬村の名主になり、以後、明治5年(1872)まで名主(明治期は戸長)を務めました。
弘化5年には、成就院境内に庚申塔(道標兼)を造立し、碑裏に筆頭者として名が刻まれています。
嘉永4年(1851)には、利根川を遡上する鮎猟にあたって、周辺の村々と調製を進め、村の利権を守るために奔走しました。嘉永2年(1849)には、妻沼村組合の惣代に就いています。
また、家業として手広く藍玉商を営みました。
妻「嘉与」との間に、子ども二男五女をもうけ、五女の「ぎん(吟子)」は、明治18年(1885)公許女医第1号になっています。
明治20年頃、荻野家の建物を整理するにあたり、長屋門は、利根川対岸の千代田町光恩寺に移築され、平成11年(1999)に、国登録有形文化財に指定されています。

 
 成就院境内庚申塔  碑裏「荻野綾三郎」 田島功一画「荻野吟子生誕地俵瀬から対岸赤岩を臨む」
熊谷市立荻野吟子記念館
 

参考文献

  • 2025 仲泉 剛 埼北文化研究会レジュメ「俵瀬の歴史ー村政・産業・文化を探るー」