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柿原一路(かきはらいちろ)(1888-1962)

俳人。本名清二。石原村(現熊谷市石原)に生まれ、大正8年頃より俳句をつくり始め、大正9年より紅暁吟社の同人として活躍する。国民新聞、日日新聞、ホトトギスへ投句する。
大正11年帰京し、絹物問屋の柿原商店の若主人として事業に励む傍ら、大正15年には、熊谷俳壇の団結のため、各結社をまとめ「泉吟社」を結成した。
昭和5年泉吟社では、俳誌『コスモス』を創刊し、大正6年には発展的に解消し、俳誌『凌霄花』として刊行し、全国的な俳誌として会員多数の投句者を得た。

〇『ほととぎす』第24巻第12号:大正10年に初掲載された作品

「定斎屋汗を流して通りけり」

*定斎屋:じょさいや:夏に町中を売り歩く、暑さよけの薬の行商人。

〇『ホトトギス』第25巻第1号:大正10年:掲載作品

「風鈴屋午後を鳴らし行く大路哉」

〇『ホトトギス』第25巻第2号:大正10年:掲載作品

「幽冥に垂れ来し小蜘蛛夜の秋」

〇『ホトトギス』第25巻第3号:大正10年:掲載作品

「大戸洩る灯に路濡れて無月かな」

昭和6年、『日本新名勝俳句』掲載作品

〇利根川を詠んだもの

「水車真菰の岸に横ころげ」 *真菰:まこも:イネ科の多年草

「家のあひ漕ぎ出る舟や五月雨」

〇長瀞を詠んだもの

「流燈や巌にあたりて一と明り」

「岩床にあまねかりける初日かな」

「舟小屋や岩に立てたる松飾」

「寶登山の団扇かざして下山かな」

「裏口の大岩床や鮎の宿」

「灼け岩やすぐ遊船へ乗るとせん」

「一峰の霧下りてきし紅葉かな」

「秋晴や巌ごとに人佇める」

「赤壁を降りくる落葉静かさよ」

「冬川の巌にあつまる烏かな」

〇図書館句会
「大いなる 机に寄りし 夜寒かな」

参考文献

  • 1921『ほととぎす』第24巻第12号 ほととぎす社
  • 1921『ほととぎす』第25巻第1号 ほととぎす社
  • 1921『ほととぎす』第25巻第2号 ほととぎす社
  • 1921『ホトトギス』第25巻第3号 ほととぎす社
  • 1931『日本新名勝俳句』 高浜虚子 大阪毎日新聞社 東京日日新聞社
  • 1931『星川』11月号 熊谷市立図書館
  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎