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中沢正覚(なかざわせいかく)(1856-1931)

俳人。本名半七。雅号凹眼。近江国日野村に生まれ、明治2年武蔵国児玉に移り、薬種商を開業。その後中沢家に準養子として迎えられる。明治18年熊谷に移り、本舗が東京、本町薬種問屋の出店を経営していた吉野家惣兵衛商店の熊谷店を譲り受け、屋号もそのまま「よろずや」を継ぎ、「よろずや半七商店」を開業した。
明治19年内田朴山らによって結成された俳句結社「水音吟社」に入会し、句作に励む。同年12月には、朴山、文岱らのはからいで、東京より芭蕉八世、内海良大を迎え「水音盟社」として良大主催となり、会員は朴山、素柳、文岱、凹眼、幽嶂半舟風汀葉々怡亭らがいた。また、当時貧窮に苦悩していた内海良大を援助する。
明治37年牛島半舟を会長とする俳句団体「蛙声会」に入会。句友は、文岱、如雪、素柳、松南、幽嶂、迂呆、麗泉、風汀らと特に親しく交宜を結んでいた。 大正末期より俳号を究竟堂正覚と改め、社中と称して中沢家一門に俳句の指導を行い、静影、愛秋、謝石、対湖、長緑、杉風、央所らと後進の育成に努める。
昭和6年7月23日76歳で没す。辞世の句は「散るさくら地につくまでの命かな」。

参考文献

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎