読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

32話冷田ひえだー  

  彼岸が近づくと、そろそろ農作業の準備が始まります。私達の国の歴史には、米造りとその独特の変遷が背景にあります。既に弥生時代の中頃には、本州の北端青森県まで田圃・米が伝播しています。現在と同様な稲田の風景が当時から見られ、人々の目と心に焼きつき、日本人の深層にしっかりと根づいています。
 約二千年の間、日本中で一度も絶えることなく米は造られてきました。云いかえれば二千年間、幾世代の先祖が苦労をそそぎ、知恵を絞って現在に至っているとも考えられます。それは開田、治水、品種改良などのハード面、経済の中心に据えたソフト面に多く例を見ることができます。
 旧江南町も、例外なく先のような歴史を経て現在に至っているわけですが、このような地名の一つを紹介します。

 三本地区の水田の一部に、「冷田」という地名があります。土地改良が完了しているため、昔の地名の場所ははっきりしませんが、何が原因でそう呼ばれ、そのことがどのような意味を持つのか、関連事項を類推してみましょう。
 「冷田」とは、文字通り暖まらない田のようです。原因として、日照が悪ければ日影という地名か使われますので、これは違うようてす。では、水が冷えるのでしょうか。水温が低ければ、稲の成育に大きを障害となることは想像に難くありません。この様に自然に関係して地名を考えるとき、地形・地質に注意することが重要な視点になります。
 「冷田」の場所は、谷津の開口部に当り、台地を流下してきた水が出てくる位置でもあります。谷水が溜るような土地であったかもしれません。また、荒川の流路や旧流路に添った地域でよく見られた、伏流水の自噴する場所だったことも考えられます。
 かつて、荒川の水量が多かった頃、川添いの沖積地では噴泉が各所にみられました。前の様な条件下で稲を育てるには、水温の管理、米自体の品種改良など苦労が多かったと想像されます。 品種に関連しますが、ヒエダは「稗田」とも呼ばれます。稗は、米に比べれば雑穀とされますが、環境条件の悪い場所でも収穫できます。暖まりにくい水田は冷めたい田であり、水稲の成育には適していない。悪条件下に耐える稗を栽培したため、稗田と呼ばれた。但し、これが正しいかどうかもっと調査が必要でしょう。

 「古事記」を編さんする際に、すべての記録を記憶していたという「語部」の一人「稗田阿礼」の出身地と伝わる、奈良県大和高田市郊外稗田は、現在まで水はけの悪い湿田であったようです。
 共通する地名がある場合、やはり共通した自然条件を持つ可能性は高いようです。冷田、稗田のどの文字を当てるにしても、悪条件下の土地で、生産に結びつけるよう努力した歴史をしのぶことができます。


 三本地区の田園風景の写真
三本地区の田園風景

もどる