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コラム6 かごめ   [登録:2001年10月31日/再掲:2012年08月21日]
  [追加:2001年11月26日:2002年3月27日]

                       

 1983年の塩西遺跡第1次発掘調査において、3.5m×2.1m程の楕円形を呈する第2号土壙(どこう)から、「籠目文土器(かごめもんどき)」と呼ばれる古墳時代初頭(4世紀初頭)の珍しい土器が出土しています。

 この土器は、口径17.6cm、高さ7.2cm程で、鉢形を呈しており、器面外側には、竹籠を押し当てて付けたと推測される籠目の文様(圧痕)が認められます。
 籠目文土器は、3世紀後半から6世紀中頃にかけて認められ、1997年の鐘方・角南論文による全国集成でも54点を数えるにすぎず、そのほとんどが破片資料で完形品となると極僅かです(鐘方・角南1997)。また、両氏はその論考において、この籠目の圧痕について触れ、これは土器の製作技法上の問題(分割成形技法)であるとし、その出土状態などから、一部祭祀用など特別な使用がなされた可能性も示唆しています。

 ちなみに、この土器を含む本土壙出土遺物(台付甕形土器(だいつきかめがたどき)・小型甕形土器(こがたかめがたどき)・壺形土器(つぼがたどき)・高坏形土器(たかつきがたどき)・椀形土器(わんがたどき)・ミニチュア土器等40個体)は、1997年に熊谷市の指定文化財となっています。

 前置きが少し長くなりましたが、今回はこの「籠目」について調べてみました。

 籠目とは何かと言えば、籠の編み目の事です。この頁の背景となっている三角形を上下に絡み合わせた文様で、六芒星(ヘキサグラム)と呼ばれています。意図するところは不明ですが、トマトジュースで有名な某会社の名前もそういえばこの模様の名前が社名となっており、大正6年(1917)の最初の商標登録は、丸の中に六芒星を入れたものでした。
 西洋では、「ダビデの星」あるいは「ユダヤの星」と呼ばれ、古代ギリシャ時代よりユダヤ教のシンボルとして知られています。中世には、錬金術師達の間で、(△)と(▽)の対照的なシンボルを組み合わせたものと考えられ、神秘的な用法がとられていたようです。そして今日では、イスラエルの国旗に描かれています。

 一方、この六芒星によく似た、角の一つ少ない図形で五芒星(ペンタグラム)があります。別名「安部晴明判紋」「晴明桔梗」「セーマン」とも呼ばれ、名前のとおり日本では陰陽師安倍晴明(921〜1005:天文博士:主計権助:大膳大夫:左京権大夫:従四位下)が好んで使用していました(来る平成17年(2005)は、安倍晴明没後1000年の節目にあたります)。ちなみにこの五芒星は、東洋では、陰陽五行思想における」の相互関係を示したものと理解されています。
 最近でも、三重県鳥羽の海女(あま)さんの鉢巻や磯着(いそぎ:海女さんの着る白い仕事着)には、難避けとしてこの文様が縫いこまれたりしています。また、旧日本陸軍は、フランス兵式に倣い軍帽の天辺に弾除けの符号として縫込んだり、ドイツ軍に倣って星印の紋章を採用していました。
 西洋では、元来は正五角形であったといわれており、古くは、「イエス・キリスト」の誕生を告げた、ベツレヘムの夜空に輝いた星は、五角形であったとされています。やがて、この正五角形の内側の角を結んだ対角線が用いられるようになったようです。また、古代ギリシャの数学者ピタゴラスが、黄金比(黄金比と命名されたのは後の事で、かのルネッサンス期の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが命名したとされています)を発見したのもこのペンタグラムです。五芒星が一つの角が上を向くように描かれた場合には「神」を表し、角を下にして描かれた場合には悪魔「サタン」を表すとされ、対照的な意味があります。

 籠は、本来入れ物ではなく、呪具であるという説があります。そもそも籠は竹で作られるものであり、この竹細工文化は、東南アジアから中国南部そして日本にかけてのものです。今日でも東南アジア各地には、呪具としての「籠目」があり、悪霊を祓うものとされています。
 祓いとしての「籠目」(三角形や六角形の「目」)は、その目の力で悪霊を睨みかえすとされています。また、箱根あたりでは、今でも二月八日とか十月八日といった季節の変わり目には、事八日(ことようか)といって、一つ目の鬼が出てくると言い伝えられています。それでその日には、竹篭を棒の先に付けて玄関先に高く掲げて、鬼に竹篭の無数の目を見せ、びっくりさせて追い返すことになっています(宮崎:1999)。陰陽五行思想では、目籠は厄除けとされ、この目籠の目の多さで悪霊を撃退するとされています。これは、目を「」と捉え、目籠の多くの目がの本性に従って魔よけになると考えられているためです(下表参照)。

 そして、「籠目」が悪霊を遠ざけるものなら、同時に善霊(神)を招きよせるものもなければなりません。何本もの竹を60度に交差させるとどこまでも広がる平面(永続性)を作ることができます。このため、籠は神から授かった神聖な利器としても認識されていました。これが、依代(よりしろ)としての髯籠(ひげこ)です。髯籠は、竹籠を編み上げて、編みっ放しにした籠のことで、竹の末端にひげのように出る部分が残ることから髯籠と呼ばれています。
 ちなみに、鯉幟(こいのぼり)とは、髯籠の下に、鯉流し(幟)がついたものと解釈されます。「吹流し」とは五常の心()を五色の色(又は)で表したもので、鯉を獲って食らおうとする竜から鯉を守るために、竜の嫌うものとして、鯉の幟についたものです。。
 つまり、入れ物としての籠は、霊的な祓いと同時に聖なるものの依代としての機能の二面性を持つ呪具と理解することが出来ます。

 塩西遺跡第2号土壙出土の籠目文土器には、どのような目的・用法があったのでしょうか。
 本土壙に廃棄された器の器種をみると、壺(貯蔵具)・台付甕(煮沸具)・高坏や器台(供献具)・椀(供膳具)と全てが揃っています。大半が日常生活において使用される器種で、特別な器種は含まれていませんが、それらが完形に近い状態でまとまって廃棄されているという点は注目されます。
 先にみた、呪具としての籠目を考慮するなら、根拠の薄い想像ですが、「カミ」へ捧げる食物を調理し、盛り付けた道具かもしれません。あるいは、周辺には、同時期の方形周溝墓や古墳群が存在することから、墓制とのかかわりで、死者への供物のために用いられた可能性も考えられます。
 いずれにせよ、これらの土器を特別な目的で使用したからこそ、日常での使用に供することがためらわれ、一括廃棄されたものかもしれません。

 
籠目文土器を底部から見た写真
陰陽配当表
臣下
五芳星の図 六芳星の図
五芒星(ペンタグラム)
底部より見た「籠目文土器 六芒星(ヘキサグラム)
<参考引用文献>
鐘方正樹 角南聡一郎 1997 『籠目土器と笊形土製品』「奈良市埋蔵文化財調査センター紀要」 奈良市教育委員会
江南町史編さん委員会 1995 「江南町史 資料編1 考古」 江南町
宮崎興二  1999 『地球を守る晴明桔梗』「ねじれた伊勢神宮」 祥伝社