重文平山家住宅屋根葺替日記(6/6ページ)

          *画像をクリックすると拡大します。
戻る 文化財日記へ
完成した東面の屋根の近接写真
p1011369.jpg
(86094 bytes)

36 2002年3月22日
完成した東面の屋根。
ちょっとわかりづらいのですが、棟の先の陰の部分に、マクラよ呼ばれるU字状に編んだ茅が取り付けられています。
屋根葺き替えの終了した平山家住宅東面の写真
p1111456.jpg
(155216 bytes)

37  2002年3月22日
屋根葺替えの終了した平山家住宅東面。
足場も撤去し、周囲を掃除して完成です。
葺き替えの終了した平屋家住宅の写真
p1111469.jpg
(64355 bytes)

38 2002年3月22日
屋根葺替えの終了した平山家住宅。
300年前の創建当初を思わせる、きれいな屋根になりました。
修理前の屋根と比べると、屋根全体が丸みがあり、ボリューム感がでています。南側の屋根は、特に傷みも進んでいないように見られましたが、完成時と比べるとかなり、茅が磨耗していたことが実感できます。

前のページへ

あとがき:
 平山家住宅は、昭和46年(1971)国の重要文化財に指定されました。その後、昭和50年(1974)〜52年(1976)にかけて解体修理を行い、昭和64年(1988)は、北側屋根の差し茅を部分的に行っています。しかし、解体修理から25年が経過し、北・西面の屋根のいたみが目立ってきたため、今回の工事となりました。
 今回の工事費は、国・県・町・所有者で負担していますが、これが補助金無しで個人で全額負担となると、とても維持できない工事金額(立派な家が1軒建つ位)となっています。
 平山家住宅は、昭和46年に重要文化財に指定されたからこそ、今日まで残っていると言えます。
 また、一方、屋根を葺く職人さんの確保が難しくなってきているのが現状です。茅葺屋根の家は、江南町周辺でもほとんど見かけなくなり、屋根を葺き替える職人さんはいなくなり、また、茅を取る茅場もありません。
 世界遺産に登録されている白川郷では、集落内で茅を葺き替える家の順番を決め、隣組のような組織で葺替えを行っているようです。お互い助け合うことにより、経済的にも負担は少なくなるし、屋根葺き替えの技術も伝承することができます。
 今回の屋根屋さんは、栃木県の真岡市から来ていただきました。株式会社組織で、不足している屋根職人を社員として雇い入れ、育てています。写真でも紹介しましたが、この会社の棟梁は80才近い高齢の方で、一緒に仕事をしている社員は、ほとんどが20代から30代前半の若い人たちでした。
 全国に点々と残る茅葺屋根は、白川郷や宿場町のような歴史的景観を残す地域を除いては、その地域だけで技術の伝承をしていくことが難しくなってきているのが現状と考えられます。
 今回の工事を見学させていただいたなかで、棟梁の下で黙々と働く若い職人さんをみて、今後、茅葺屋根の葺替は、この株式会社のような組織で、技術の伝承を図り、広範囲の地域の仕事を請け負う形態が主流となっていく気がします。本当は、建物が建つ地元でそれぞれの技術を伝承していくのが望ましいとは思いますが・・・・・。
 最後になりましたが、今年の冬は、暖冬であったとはいえ、赤城おろしの寒風吹くなか、黙々と作業にあたられた方々、および関係者の方々、本当にご苦労様でした。              2002年4月25日