両宜塾
両宜塾は、「江戸繁盛記」などを記した、儒学者寺門静軒(1796-1868)が、万延元年(1860)に妻沼仲宿に開いた塾です。木造2階建ての居宅兼教室で、1階は7畳と8畳の和室・台所・床の間・便所、2階は8畳の和室で構成されていました。さらに庭に塾舎2棟(3.5間×2間、2間×2.5間)が建てられていました。
この両宜塾は、慶応3年(1867)、静軒が妻沼を去った後も門人達によって引き継がれ、明治5年(1872)の学制発布まで続けられました。両宜塾からは多くの著名人が排出され、日本最初の女性医師の荻野吟子(1851-1913)もその中の一人です。
増設された塾舎は、老朽化のため昭和42・43年に取り壊されています。その後、平成元年(1989)に2階建ての塾舎自体が取り壊されています。
平成5年(1993)には、「両宜塾跡」として史跡に指定されています。
今は見る事のできない両宜塾の様子を伝える、貴重な写真です。