市指定文化財名勝「三尻観音山」について教えてください

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 市内唯一の孤立した第三紀の丘陵。孤立した丘稜地で頂上からの眺めなど、四季を通じて楽しめる名勝です。単に山だけでなく桜門や巧みな石段観音堂、鐘桜も併せて味わえる景を形成しています。観音山は古くは狭山と言われていました。標高83.3m、周囲850m。
 江戸中期に記された「江戸砂子」という書に「狭山は田夫瓶尻のはげ山といい、観音堂あり、力士門の額に狭山の2文字を顕す」とあるように、古くから知られていた場所です。
 観音堂は、延享4年(約200年前)に御正村柴田家の治右衛門などの力添えで再建されたと伝えられています。本尊は千手観音でその昔、この近くにある狭山池(沙山池、また少間山池)から出現したものに由来し、桜門は天保3年に建造されたものです。この天井絵は秀逸な作品に仕上がっています。
 沙山池は、僅かに跡を残すばかりでありますが、文明18年殼恵比国紀行には次のような興味深い記述が残されています。「弥陀(箕田)という所に明かして武蔵野を分侍るにの径の辺名に聞こえし狭山あり。朝の霜をふみわけて行くに僅かなる山の裾に形ばかりの池あり」。この文中にある沙山池は三尻観音山の池であると推察されます。天保の頃、渡辺崋山がこの地に来て山門天井板や双雁図を描き、『訪チョウ録』を著したことは、広く知られています。