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句碑・歌碑




鎌倉町石上寺の花塚

本碑は、当初竹井家私的神社である太神宮の脇に建てられていたが、戦後、石上寺境内に移設された。 
碑表に「しばらくは 花の上なる 月夜哉」という松尾芭蕉の句が刻まれている。明治35年(1902)に、熊谷の俳人四分一葉々が建てた碑で、当時の石上寺と荒川堤にはみごとな桜が咲き誇っていたことから、吉野山の桜と同じようだとの思いを込めてこの句を碑にしたとされている。
碑裏には、熊谷堤に桜を植えた経緯と、俳句結社蛙声会会員5名による桜の句が刻まれている。
我や老いぬ 植しさくらも 二十年 幽谷
植えしより 年々に此 はつ桜 幽嶂
この花の 雫の末よ 隅田川 怡亭
黄昏や 花を見越しの 水明り 彦雄
土堤長し 向ふ下りの 花の雲 葉々

所在地 鎌倉町(石上寺)
種別 花塚
造立年 明治35年(1902年)
碑裏には、幽谷(竹井澹如:1839ー1912)、幽嶂(林有章:1859ー1945 )、怡亭(竹井懿貞:1853-1903)、彦雄(1857-1923)、葉々(四分一葉々:1863-1940)の句と名前が刻まれている。

   
明治35(1902)年花塚完成記念写真
左から竹井澹如・林有章・四分一葉々(個人蔵)
 花塚略図(個人蔵)
 
 「花塚建設の趣意書
往昔石上寺の邊より熊谷堤上に無数の櫻樹ありし事は世の知る所にして既に忍名所圖繪にも熊谷櫻と称して載せられ又舊忍侯の題詠もあり抑も熊谷堤は蜿蜒十数里に亘り東都に入り隅田村に至る而して彼の墨陀の櫻花は年々美観を呈するに拘らず我熊谷堤の櫻樹は維新の改革と共にいつしか朽枯に属しけるを有志の方々之を嘆き去る明治十六年の春櫻樹植付けの官允を得て新に幾百本を堤上に栽られけるより遂に今日の壮観を呈し墨陀と首尾相應して名所の一となり花期には遠近杖を曳くもの絡繹織るか如き盛況とはなりぬ然るに僕れ年来俳諧を嗜みけるより茲に大方の賛助を仰いて此の堤邊に花塚の建設を発起し其の碑表には芭蕉翁の俳句を鐫め其碑陰には花塚の由来及俳句を記し又臺石には賛助諸君の氏名を刻し以て其芳志を櫻花と共に永く後世に傳へ聊か花神を慰め且は風致を添るの一端となさんとす冀くは同感の諸賢奮て賛助あらん事を慎みて請ふと云爾

発起者 埼玉縣熊谷町 皓々處葉々事 明治三十五年四月 四分一清次郎
補助員
竹井澹如 竹井懿貞 林 有章 内田彦雄」