常設展示室/文化財の部屋

板碑



正安銘板石塔婆


本板石塔婆は、昭和37年1月20日、押切地先の荒川の砂利採取中により発見されたもので、現在熊谷市押切地内の個人宅前に建立されています。
総高174cmで、頭部及び身部の一部を欠損し、横幅は上部で34cm、下部で39cm、厚みは上部で7cm、下部で7.5cmを測ります。材質は緑泥片岩を用いています。
主尊は、異体梵字による阿弥陀如来が縦長の薬研彫で刻まれています。
銘文は、

               生年六十七己尅往生
    庚   十              覚
 正安二 年七月 五日武蔵刑部尉親直法名
    子   十              性
               大施主左兵衛尉頼秀

 と刻まれており、銘文の両側には梵字で光明真言が刻まれています。この光明真言は、「不空羂策毘遮仏灌頂真言経」からの出典で、これを唱えることにより仏の光明を得、罪過を除くことができると言われています。
 したがって本板石塔婆は、正安二年(1300)7月25日に67歳で往生した武藤刑部尉親直の冥福を祈って左兵衛尉頼秀が造立した追善供養塔であることが認められます。武藤氏は多摩地方出身の武蔵武士で、刑部とは訴訟や刑罪を司る役職名で、造立者の左兵衛尉頼秀とは親子と推測されます。この武藤氏と江南地方の関係は不明ですが、造立者に武士の名が刻まれた例は少なく、造立年・造立趣旨が判明しており、当時の武蔵武士の信仰がうかがえる貴重な資料です。
平成9年1月に江南町指定文化財に指定されています。


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