常設展示室/文化財の部屋

板碑



寛喜銘板石塔婆


寛喜銘板石塔婆について

 本板碑は、嘉禄三年銘板石塔婆・安貞二年銘板石塔婆につぐ古い紀年銘(寛喜二年:1230)を有する板石塔婆です。ほぼ中央部分で上下に分断され、一部を欠失しています。上半部には、阿弥陀如来立像および脇侍二菩薩(観音菩薩・地蔵菩薩)を、それぞれ頭光身光状に彫り窪めた中に彫り出しています。下半部には九行にわたり銘文が刻まれています。
計測値は、全長(上半)90cm・(下半)92cm、幅(上半)55cm・(下半)57cm、厚み4.4cmを測ります。
 銘文の出典は『観世音菩薩往生浄土本縁経』で、次のとおりです。
 
若有重業障 (もし重い業障があって)
 無生浄土因 (浄土に生まれる因がなくても)
     為悲母
  歳次    二十
 寛喜 二年 六月 (寛喜二年:1230年6月)
   庚寅    三日
     奉造立
■弥陀願力 (弥陀四十八願の力に乗ずれば)
■■安楽国 (必ず安楽土に生まれることができる)
寛喜銘板石塔婆の由来

 本板碑は昭和24年3月、小江川地内で発見され、江南南小に移され保存されてきました。発見時にはすでに折損しており現在の姿になっていました。
 昭和32年に嘉禄銘板碑の調査に来た川勝政太郎氏により紹介され世に知られるようになりました。
 昭和33年に当時の江南村指定文化財として指定され、平成2年3月に埼玉県指定有形文化財に指定されています。
 昭和60年には、南小学校の改築に伴って、同小学校所蔵の資料は町教育委員会で保管することとなり、他の資料とともに教育委員へ移転しました。
 本板石塔婆は、2片に破損しており接合しませんが、脇侍の部分から同一個体であると認められます。板石塔婆の資料的価値については、次の事項が指摘されています。
1.武蔵型の頭部三角形・二条線を有する三尊画像形式である。
2.善光寺式の印相を持つ阿弥陀如来立像を主尊に持ち、脇侍は観音菩薩と地蔵菩薩である。
3.紀年は、寛喜二年(1230)で、日本第3位の古さである。
4.銘文は、楷書体で陰刻され、配置は左右対称に振り分けられ定型化している。
寛喜板碑下部拓本 寛喜板碑上部拓本
寛喜銘板石塔婆主要参考文献
 1957年 『史跡と美術』第278号 「武蔵須賀広の嘉禄・寛喜板石塔婆について」 川勝政太郎
 1972年 『仏教芸術』「板碑に見る中世仏像表現」 千々和 実
 1972年 『武蔵国板碑集録』 千々和 実
 1973年 『日本歴史』第303号 「初期板碑の検討」 鶴岡静雄
 1976年 『日本歴史』第337号 「板碑精査が示す中世民衆仏教普及の実態」 千々和 実
 1980年 『板碑 特別展図録』 有元修一 埼玉県立博物館 
 1981年 『板碑 埼玉県板石塔婆報告書』 埼玉県立歴史資料館編 埼玉県教育委員会
 1988年 『偈頌』 川勝政太郎
 1992年 『埼玉県指定文化財調査報告書』第十八集 埼玉県教育委員会
 2003年 『江南町の板碑』「寛喜銘板碑の復元と製作」 江南町教育委員会 新井 端

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