常設展示室/文化財の部屋

板碑





安貞銘板石塔婆


安貞銘板石塔婆について

安貞二年(1228)銘の板石塔婆は、現在確認されている中では、熊谷市の嘉禄三年(1227)銘阿弥陀三尊像板石塔婆に次いで日本で二番目に古く、種子使用・完存品としては日本最古の遺品となります。
 材質は緑泥片岩で、高さ126cm、上部幅34cm、下部幅39cm、厚さ6.5cmを測ります。これは当時の尺度で、四十二寸・十一寸・十三寸・二寸に相当します。頂部の一部と両側にわずかに剥落が認められますが、基部に至るまでほぼ完存しています。頂部はゆるい山形で、古式な形態を示しており、二条線部分は帯幅が広く、羽刻みは平たく、上方へ剥ぎ取るように両側面にまで刻まれています。下位には、ホゾをつけており、本来は台石に据えられていたようです。碑面は主尊と十七文字の銘文と紀年銘から構成されています。
 主尊に表された種子は、梵字により「阿弥陀如来」を表しています。また、丹念に陰刻された銘文は、次のような造立の目的を意味しています。

 右造立旨趣者(右の塔婆造立の目的は)
  為幽儀成仏(亡くなられた人が仏となる道を)
 得道所奉訪也(得られるように弔うものです)
    大才
  安貞二年 十二月十五日(1228年戊子十二月十五日)
    戊子

 この銘文には、供養する人及び像立者の名前は刻まれていませんが、阿弥陀如来を礼拝の対象とし、死者の冥福を願ったものと思われます。文字は、草書調に刻まれ、その配置は定型化しておらず、のびやかな印象を受けます。


安貞銘板石塔婆の由来

 本板碑は、昭和51年に立正大学古代文化研究会の踏査によって発見されるまで、 熊谷市樋春地内に所在する旧観音寺の墓地に建てられていました。
 観音寺は、旧樋春村の真言宗の寺院でしたが、明治期の廃仏毀釈により廃寺となり旧春野原村に所在する真光寺の管理するところとなりました。発見後、その資料的・歴史的価値の重要性が認識されるに及んで、この板石塔婆は真光寺に保管のため移転され、現在も同寺に保管されています。
 資料的価値については、最初の報告文以来諸氏の検討があり、次の事項が明らかとなっています。
1.武蔵型の頭部三角形二条線を有する。
2.阿弥陀如来の種子を浅く薬研彫に刻むが連座はない。
3.紀年は、安貞二年(1228)で、日本第二位の古さである。
4.銘文は、草書体で配置は定型化していない。
 平成2年3月、埼玉県指定有形文化財に指定されています。

安貞銘板石塔婆主要参考文献
 1979年 『考古学ジャーナル』第160号 「武蔵・観音寺の安貞二年板碑」 関 一之
 1979年 『歴史考古』第■号 「武蔵国最古 安定二年銘種子板碑」 鈴木道也
 1981年 『板碑 埼玉県板石塔婆調査報告書』 埼玉県歴史資料館編 埼玉県教育委員会
 1982年 『板碑』特別展図録 有元修一 埼玉県立博物館
 1992年 『埼玉県指定文化財調査報告書』第十八集 埼玉県教育委員会
 2003年 『江南町の板碑』 江南町教育委員会

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