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山岸権七(やまぎしごんしち)(生没年不詳)


18世紀後半の大里郡屈戸の石工。石造物に自分の名前を彫る際、「新川天水」「天水川岸」と表記していることから、熊谷市津田新田辺りに住んでいたと推測されている。また、「権七正方」と「権七英正」の2つの名があり、2代続いた石工と考えられている。

現在、権七の作品は、近隣市町に6例確認されている。

・滑川町羽根尾:不動尊:宝暦10年(1760)「石屋権七作之」

・滑川町福田:地蔵尊:天明2年(1782)「天水川岸石工山岸権七正方作之」

・熊谷市中曽根「大日堂」:一千部供養塔:明和6年(1769)「天水山岸権七」

・熊谷市久下「東竹院」:六十六部供養塔:安永2年(1773)「石工新川天水山岸権七作」

・本庄市児玉町「龍台院」:安永8年(1779)「武州大里郡吉児須天水川岸権七作」

・深谷市小前田「長善寺」:宝塔:寛政5年(1793)「石工大里郡天水川岸権七英正」

 

参考文献

2022年 高柳 茂「同じ石工が作った石仏について二題」『埼玉史談』第67巻第1号 埼玉県郷土文化会



一千部供養塔(熊谷市中曽根大日堂) 右台座部分「天水山山岸権七」」