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奈良三郎高長(ならさぶろうたかなが)(■-1195)


武士。成田氏系図によると、成田助高の三男三郎高長が、奈良に来住し在名をもって奈良氏を名乗ったとされている。しかし、横山党系図では、横山資孝の四男奈良四郎を奈良氏の祖としている。
高長は、保元の乱に源頼朝に従い、のち奈良に戻り妙音寺を開き、頼尊と名乗ったと伝えられる。
子の高家は、頼朝に仕え、高家の子助綱、弟光綱などが奈良氏の子孫である。
妙音寺には、奈良三郎の墓が残されており、熊谷市指定史跡史跡に指定されている。自然石の表面には「開山観音院頼尊」、右側には「開山観音院頼尊」、左側に「建久六乙住卯年現住鏡岸」、裏面に「助成主篠沢氏」と刻まれているが、享保年間(1716〜1735)に外記という人物が再建したものであると伝えられる。

 
奈良三郎墓(妙音寺)

参考文献

    • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎