中沢正覚(なかざわせいかく)(1856-1931)
俳人。本名半七。雅号凹眼。近江国日野村に生まれ、明治2年武蔵国児玉に移り、薬種商を開業。明治8年熊谷に移る。明治19年俳句結社水音吟社に入会し、句作に励む。東京より招聘した内海良大を援助する。明治37年牛島半舟を会長とする俳句団体「蛙声会」に入会。大正末期より俳号を究竟堂正覚と改め、社中と称して中沢家一門に俳句の指導を行い、静影、愛秋、謝石、対湖、長緑、杉風、央所らと後進の育成に努める。昭和6年7月23日76歳で没す。
参考文献
- 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎