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小林丑五郎(こばやしうしごろう)(■〜1841)

彫刻師。8代続いた玉井の彫刻師小林家の3代目。2代源太郎(1799-1861)について彫刻を学びました。
天保12年(1841)、群馬県太田市阿久津神社本殿彫刻を手掛けています。
文久3年(1853)には、越生町大宮神社の再建を、上野村の大工棟梁中嶋久蔵、大谷村(現越生町大谷)の大工棟梁肝煎(脇棟梁)深田定蔵ほか、地元の大工杣方と手掛けています。
この他、群馬県渋川市甲波宿彌神社拝殿、川越市鯨井築八坂神社獅子頭、栃木県足利市葉鹿仲町屋台彫刻等の製作にも携わっています。
 
 大宮神社本殿胴羽目彫刻 西面「素盞鳴尊の八岐大蛇退治」  大宮神社本殿胴羽目彫刻 北面「天の岩戸」  大宮神社本殿西面木札「當國熊谷住 彫工 小林齋熊山橘正信」

     
阿久津神社本殿胴羽目彫刻 西面「玉巵弾琴(玉師団金)」。玉巵は西王母の娘で、琴の名人。
阿久津神社本殿胴羽目彫刻 背面「趙雲救幼主」。劉備は曹操軍から逃げていたが、追いつかれ、劉備の妻である糜夫人と嫡男の阿斗が戦場に取り残されてしまう。趙雲は、阿斗を抱えた糜夫人を見つけるが、夫人は足に傷を負っていたため、足手まといになることを怖れ、井戸に身を投げてしまう。
阿久津神社本殿胴羽目彫刻 東面「三条小鍛冶宗近」。一条天皇の勅命を受けた橘道成が、宗近に剣を打つように命じた。だが宗近に良い相槌の者がおらず、稲荷明神に祈った。すると、稲荷明神の狐が化身した男が現れ、相槌を振り、無事に刀を打ち上げた。