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稲村貫一郎(いなむらかんいちろう)(1850-1933)

政治家、実業家。荻野吟子の最初の夫。埼玉郡上川上村の名主に生まれ、古賀藩に遊学し、慶応3年(1876)に名主役、明治5年(1872)副戸長、明治7年(1874)戸長となる。明治5年(1875)には、埼玉県初の民権運動結社・七名社の創立メンバーとなり、民権論的な討論を行い、製糸会社設立計画反対の建言書を提出するなど、県の政策にも提言した。郡制施行により郡吏となり、明治10年(1880)には県会へ進出し、明治15年(1885)には副議長となり、明治20年(1890)に辞職した。
熊谷町に牧畜牛乳販売の愛生舎を開業し、熊谷銀行を創設すると同時に頭取に推され、熊谷貯蓄銀行も経営した。明治37年(1907)上川上、上中条連合耕地整理事業を実施し、農民のために製縄機の貸付、副業としての杞柳栽培を企て、県物産品評会に柳行李を出品して受賞、埼玉県杞柳細工の端緒を作った。
大正2年(1913)日本赤十字社特別賞受賞。
また、奥原晴湖と若いころから親交があり、支援した。晴湖は晩年に貫一郎を頼り、上川上に移っている。

参考文献

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎
  • 2023『熊谷市史 調査報告書 荻野吟子ーその歩みと出会いー』熊谷市教育委員会