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布施田半蔵(ふせだはんぞう)(生没年不詳:江戸時代後期)


布施田半蔵は、熊谷の草分け六人衆(江戸時代の宿役人)の一人である布施田太郎兵衛の子孫で、熊谷宿で宿屋を営みました。享和2年(1802)には蜀山人が宿泊しており(『壬戌紀行』)、文政8年(1825)には脇本陣をつとめました。
文政10年(1827)刊の『諸国道中商人鑑』に熊谷宿の宿屋として「熊谷宿 御宿泊 江戸より右側 京より左側 布施田半蔵」と紹介されています。
また、秩父の『三峯神社日鑑第六巻』:天保12年(1841)〜弘化4年(1850)には、「布施田半蔵方御泊り書状到来、大工政吉、御供二被召連候処、寄居上気之躰二而候処、布施田半蔵御泊り之夜、乱心仕、療治等御加へ被遣候へども、平癒無覚束様子二而・・・」、『三峯神社日鑑第七巻』:弘化5年(1851)〜安政3年(1856)には、「中山道、熊ヶ宿布施田半蔵登山」「布施田半蔵下ル」、この他『三峯神社日鑑第八巻・九巻』にも記事が記されており、半蔵が度々三峯神社を訪れていることが記されています。
この他、先祖供養のために、長野善光寺本堂前西の宝篋印塔(安政5年(1858)2月)を有志で奉納し、長野六左衛門とともに名が刻まれています。
十返舎一句の『続膝栗毛』に北八が「ハハアここが布施田だな、これも評判のいいやどだ」と話しています。

     
 『諸国道中商人鑑』  長野善光寺本堂前西の宝篋印塔  同左台座「布施田半蔵」

参考文献

  • 『熊谷人物事典』1982 日下部朝一郎 株式会社国書刊行会
    『三峯神社日鑑第六巻』2004 三峯神社社務所
    『三峯神社日鑑第七巻』2005 三峯神社社務所
    『三峯神社日鑑第八巻』2005 三峯神社社務所
    『三峯神社日鑑第九巻』2006 三峯神社社務所