旧江南町の歴史 扉へもどる
南北朝・室町時代 1336〜1573年
1337年
(建武元年)
12月 斎藤実永・実末の兄弟、南朝方として北畠顕家に従い、利根川の陣において先陣争いをするも戦死。
1339年
(暦応2年)
1月 福河荘住人の来阿、聖天堂に鰐口を奉納する。
1343年
(興国元年)
11月11日 別府幸実・玉井四郎・成田四郎次郎ら、北朝方として関・大宝城を攻める。
1351年
(観応2年)
12月28日 別府幸実、将軍足利尊氏のいる駿河由比山の陣に参陣し、尊氏から恩賞をもらう。
1354年
(文和3年)
5月11日 別府頼重、没する。供養するための阿弥陀一尊種子板碑(安楽寺、県指定史跡)が建立される。
1360年
(延文5年)
4月11日 別府幸実、紀伊で南朝軍と戦い戦死する。
1380年
(康暦2年)
6月1日 別府幸直、関東公方足利氏満から小山義政征討を命じられる。9月、義政降伏後、軍勢は村岡に陣を取る。
この頃 各地に移った熊谷出身の武士が、南北朝の戦いで活躍を見せる。
三入熊谷氏、丹波久下氏 など
1396年
(応永3年)
10月18日 日光輪王寺、関東中で大般若経の一日頓写を行う。市内でも屈戸盛光寺、村岡如意輪寺、肥塚宝珠寺、中条興徳寺大蔵坊、久下郷善福寺、熊谷郷報恩寺、成田阿弥陀寺、成田蓮福寺、池上郷大乗坊等で行われる。
15世紀 諏訪木遺跡に約5,000枚の古銭が埋められる。
1403年
(応永10年)
この年を最後に、熊谷氏の熊谷での活動が見えなくなる。
1416年
(応永23年)
上杉禅秀の乱。長井・成田・玉井・瓶尻(みかじり)氏などが戦乱に参加する。
1424年
(応永31年)
4月27日 別府幸忠、関東公方足利持氏から玉井駿河入道父子の討伐を命じられる。
1440年
(永享12年)
7月 庁鼻和上杉憲信・長尾景長、成田館に出陣し一色伊予守と合戦、翌日、村岡河原合戦において一色伊予守を討つ。
1450年
(宝徳2年)
8月22日 大江持宗、長井荘聖天堂別当職を鶴岡八幡宮相承院に寄進する。