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1337年
(建武元年) |
12月 斎藤実永・実末の兄弟、南朝方として北畠顕家に従い、利根川の陣において先陣争いをするも戦死。 |
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1339年
(暦応2年) |
1月 福河荘住人の来阿、聖天堂に鰐口を奉納する。 |
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1343年
(興国元年) |
11月11日 別府幸実・玉井四郎・成田四郎次郎ら、北朝方として関・大宝城を攻める。 |
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1351年
(観応2年) |
12月28日 別府幸実、将軍足利尊氏のいる駿河由比山の陣に参陣し、尊氏から恩賞をもらう。 |
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1354年
(文和3年) |
5月11日 別府頼重、没する。供養するための阿弥陀一尊種子板碑(安楽寺、県指定史跡)が建立される。 |
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1360年
(延文5年) |
4月11日 別府幸実、紀伊で南朝軍と戦い戦死する。 |
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1380年
(康暦2年) |
6月1日 別府幸直、関東公方足利氏満から小山義政征討を命じられる。9月、義政降伏後、軍勢は村岡に陣を取る。 |
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この頃 |
各地に移った熊谷出身の武士が、南北朝の戦いで活躍を見せる。
三入熊谷氏、丹波久下氏 など |
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1396年
(応永3年) |
10月18日 日光輪王寺、関東中で大般若経の一日頓写を行う。市内でも屈戸盛光寺、村岡如意輪寺、肥塚宝珠寺、中条興徳寺大蔵坊、久下郷善福寺、熊谷郷報恩寺、成田阿弥陀寺、成田蓮福寺、池上郷大乗坊等で行われる。 |
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15世紀 |
諏訪木遺跡に約5,000枚の古銭が埋められる。 |
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1403年
(応永10年) |
この年を最後に、熊谷氏の熊谷での活動が見えなくなる。 |
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1416年
(応永23年) |
上杉禅秀の乱。長井・成田・玉井・瓶尻(みかじり)氏などが戦乱に参加する。 |
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1424年
(応永31年) |
4月27日 別府幸忠、関東公方足利持氏から玉井駿河入道父子の討伐を命じられる。 |
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1440年
(永享12年) |
7月 庁鼻和上杉憲信・長尾景長、成田館に出陣し一色伊予守と合戦、翌日、村岡河原合戦において一色伊予守を討つ。 |
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1450年
(宝徳2年) |
8月22日 大江持宗、長井荘聖天堂別当職を鶴岡八幡宮相承院に寄進する。 |
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