読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

24話悪場あくばー  

  「悪場」は「アクバ」と読まれ、「悪場東」と「悪場南」が町の中央部にあります。大字は樋春に属していますが、かつて樋春村の入会地であった名残のようです。
 地名の残る土地をみると、「
悪場東」は干いた台地上と湿潤な谷が占めています。「悪場南」は、中沼に面する谷地形の場所です。両地点とも幾度か開墾されたようですが、地目は山林が占めています。
 また地名の東・南の方向からみる中心地点は、「大原」 に当ります。等高線をみると、「大原」から山神付近は、「
悪場東」へ向う方向と「悪場南」へ向う方向の分水堺に当っています。目に見える程の境界ではありませんが、雨水の流路を分けていたようです。
 しかし、田を潤す程の水量ではなく、さりとて、畑に耕すにはあまり適さなかったらしく、昭和20年代の航空写真を見ても山林がほとんどです。

 地名辞典等によると、「
悪場」は、「アク」が、アクト・アクツ・アクタ・アクバ等に同類の意味があり、低湿地・耕作に適さない土地ということから、悪い土地の意味を持つようです。この場合の悪い土地とは、作物の稔りが良くないということでしょう。しかし、この様な所は、動植物の憩うオアシスとなり、山林は保水涵養林となります。
  「アク」はこのように水を指します。そして「アク」 の語自体が、「アクア」 (ラテン語:ギリシャ・ローマ時代の標準語) から来ており、「アカ」 (閼伽) も同じ意味を持っています。古い時代に、日本へ入った言葉のひとつと考えられています。旧江南町内では、戦国時代末の後北条氏の家臣団名簿に 「闘加井坊」 の名がみえています。これは、仏に供える浄水を汲む井戸のある場所・人を呼んだ名前のようです。
 「悪」 は総じてあまり良い意味には使われていません。この反対を意味する言葉が多く、辞典に記載される用例が豊富です。多少とも異った意味に用られる場合は、物事や勢いの激しいこと、たけだけしいことを強調したときに使う場合です。
 鎌倉幕府を開いた源頼朝は、三男でした。長兄は義平といい、若年ながら戦場で活躍し、その勇猛なところから悪源太義平と呼ばれていました。力を誇示する武士には「悪」が使われることがあったようです。
 地名に使用された 「悪」と水を意味する「アク」の語が同様のいい方をするとはおもしろい取り合わせです。
 水は人間に欠くべからざるもので、命そのもの、血のアカと同一視している宗教は幾つもあります。水の性質は、どんな場所へも姿を変え染みわたり、生きものをいやします。この力に、昔の人は神や仏の力をみたようです。
 また、その力は、どんを悪人をも救いとって漏らすところがないからでしょか、神仏や自然に対する素朴な畏れを先祖は地名に付しています。
 


 
中沼下の谷津を流れる小川

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