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玉津留姫(たまつるひめ)

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谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)には二人の(ひめ)があり、これはそのうちの一人、玉津留姫(たまつるひめ)のお話です。
(ぞん)じのように父である直実は、(いち)(たに)の戦いで 平敦盛(たいらのあつもり)()ち取った後、世の無常(むじょう)を感じて武士を捨て、法然上人(ほうねんしょうにん)弟子(でし)となって(やかた)()り、兄の直家(なおいえ)源頼朝(みなもとのよりとも)(つか)えているため館にはめったに帰ってきません。
玉津留姫は母とともに、館でひっそりと()らしていましたが、そのうちに、ふとしたことから母が(やまい)にかかり、姫の懸命(けんめい)看病(かんびょう)(むな)しく、(かえ)らぬ人になってしまいました。
(かな)しさと、葬儀(そうぎ)が終わった後の、いよいよひとりぼっちになってしまったという(さび)しさから、姫は毎日()いてばかりいました。
しかしある日、こんなことではいけない、善光寺(ぜんこうじ)にお(まい)りして母の(れい)(なぐさ)めようと思いたち、侍女(じじょ)を一人連れて信州(しんしゅう)へ向かいました。
道中(どうちゅう)の安全のため、途中(とちゅう)立ち()った寺の住職(じゅうしょく)(すす)めにも(したが)い、(かみ)()り、黒い(ころも)をまとった(あま)姿(すがた)になって(たび)を続けました。
ところが疲労(ひろう)(あつ)さのため、姫は善光寺を目前(もくぜん)にして、病に(たお)れてしまったのです。侍女が必死(ひっし)になって看病しましたが、姫の病は重くなるばかりでした。
そこへなんという偶然(ぐうぜん)か、念仏修行(ねんぶつしゅぎょう)をしていた父直実が通りかかったのです。
しかし姫の病は、父の顔もわからぬほど重くなっていたのです。
それからしばらくして、姫は父の(むね)の中で(しず)かに(いき)を引きとった、ということです。
『熊谷市史』『ふるさとのはなし』より
玉津留姫

用語解説

  • 一の谷の戦い…寿永三年(一一八四)、源氏と平氏が現在の神戸市須磨区のあたりで戦った。
  • 平敦盛…平氏軍の武将(一一六九〜一一八四)。平清盛の弟、平経盛の子。横笛の名手として知られ、戦いの合間に笛を吹いていた。一の谷の戦いで熊谷次郎直実に討たれる。
  • 無常…人生のはかないこと。
  • めったに…ほとんど。まれにしか。
  • ひっそりと…ひそかに事をなすさま。
  • ふとしたことから…思いがけないこと。ちょっとしたこと。
  • 空しく…かいがなく。むだである。
  • 帰らぬ人…死んだ人。
  • 慰める…心をしずめ満足させる。なだめる。
  • 法然上人…(一一三三〜一ニー二)名は源空。お経が読めなくても「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏をとなえれば救われるという浄土宗を開いた。
  • 信州…信濃国(今の長野県)のこと。
  • 念仏修行…「なむあみだぶつ」をとなえて、仏の道を修行すること。