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特別展示室

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●出土遺物
   1.熊谷市権現坂埴輪窯跡出土盾持人物埴輪

熊谷市千代の権現坂埴輪窯跡の粘土採掘抗より出土した、武器を持つ盾持人。盾には戈戟と推定される大陸に祖型を持つ武器がつけられている。現高55p。
   2.熊谷市中条古墳群出土盾持武人埴輪

熊谷市上中条の中条古墳群女塚1号墳出土「盾持武人埴輪」。 この埴輪は、前方後円墳の前方部周溝の外提から出土しました。高さは68p。文様の描かれた四角い盾を持つ武人を表現しており、頭には笄帽という帽子、顔の両脇には下げ美豆良という当時の男性の髪形が認められます。
   3.熊谷市中条古墳群出土盾持武人埴輪2

熊谷市上中条の中条古墳群女塚1号墳出土「盾持武人埴輪」。 この埴輪は、前方後円墳の前方部周溝の外提から出土しました。高さは盾の上半分までの出土で、現存35pです。 頭には鉢巻と冠、四角い盾にはやや複雑な文様と丸い鋲が表現されています。頭部や盾の文様からこの埴輪は盾持武人埴輪でも上級武人と考えられます。
   4.熊谷市野原古墳群出土踊る埴輪(レプリカ)

昭和5年に、熊谷市野原古墳から出土した「踊る埴輪」の点群データ3D画像です。 現資料は東京国立博物館所蔵で、熊谷市立江南文化財センターでは、そのレプリカを所蔵・公開しています。 平成16年撮影。

●石造物
  1.享保銘波乗弁財天像

熊谷市指定有形文化財。 所在地:熊谷市押切  全高:96cm、全幅:38cm  銘文:「享保十二 丁未 二月吉日 武州□□□押切村 同行六人」 指定年月日:平成9年1月20日
この像は、波頭に弁財天が出現する様相を示しており、翻波する波頭に呼応して乱れる瑞雲に、整然と座す姿勢を表しています。八手にはそれぞれ、左手第一手から宝珠、輪宝、弓、財宝を表す蔵の鉤、右手第一手から宝剣、三叉戟、宝棒、縄を持ちます。また、頭上には鳥居や蛇神(宇賀御霊神)を刻み、その上に日輪、月輪を配しており、日・月の持つ恩恵を得て、五穀豊穣を願う村人の願いが込められているものと推測されます。
  2.熊谷市樋春穴薬師

奥中央の薬師如来の石像には、「寛政九年巳年五月」の銘があり、その前の奉納石燈龍には、「享保五年十一月(五月)十二日 村中」と刻まれています。 この薬師様を通称「穴薬師」と呼んでいます。 この薬師様は目の病気に大変あらたかで、願を掛け、治るとそのお礼として穴のあいた石を奉納したといいます。3D画像を拡大すると、敷かれている石には穴が空いていることがわかります。 大正時代ころには穴薬師講という講が形成されており、その講金で薬師堂の修理もしたといい、大正四年の寄付者名を記した木板が、堂内に残っています。
   3.熊谷市秩父道志るべ

埼玉県指定記念物旧跡。所在地:熊谷市石原。
昭和36年9月1日指定。 江戸時代に盛んであった秩父札所の観音信仰で往来した巡礼者などのために建てられた道標です。江戸から秩父へ行く道の一つとして熊谷宿を通過し、石原村で中山道から分かれて、寄居・釜伏峠・三沢を経由する「ちちぶ道(秩父道)」がありました。 この道志るべは、秩父四万部寺への距離と方向を示したもので、明和3年(1766)、中山道と秩父往還の分岐点付近に建立されました。
   4.肥塚氏供養板石塔婆

熊谷市指定有形民俗文化財。所在地:熊谷市肥塚
肥塚氏は熊谷氏の祖となった直季の弟直長が肥塚に住んで肥塚氏の始祖となり、その後も在住していたと考えられています。この板石塔婆は、肥塚氏の太郎光長と八郎盛直の供養塔2基によって構成されています。太郎の板石塔婆は年号が康元2年(1257)、種子は阿弥陀如来であり、八郎の板石塔婆は年号が応安8年(1375)、種子は地蔵菩薩です。
   5.星溪園十王供養塔

星溪園内積翠閣の東に位置する十王供養塔。47日目に裁く五官王(普賢菩薩)が、生前に犯した人間の罪の重さを秤で量っている様子が描かれている。五官王が裁く罪は、目・耳・鼻・舌・皮膚の五官で犯した罪。
塔高69p、寛文2年(1662)年2月造立。
十王とは、道教や仏教で、地獄において亡者の罪状の審判を行う判官10尊の総称。秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻羅王、変成王、太山王、平等王、都市王、五導転輪王の十神を指す。亡者は、初七日に泰広王の庁舎で裁判を受けるのに始まり、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、百か日、一周忌、三周忌の十回まで次々に各王の庁舎で罪の軽重を判定され、次の世の処世を定められるといわれている。

●遺物出土状態
  1.熊谷市前中西遺跡弥生時代住居跡土器出土状態

熊谷市前中西遺跡の弥生時代中期の竪穴住居跡の床面直上から出土した土器の出土状態です。
2022年8月8日撮影。 
  2.熊谷市前中西遺跡弥生時代住居跡石器出土状態


熊谷市前中西遺跡の、弥生時代中期〜後半にかけての住居跡から出土した、石鍬(打製石斧)の出土状態です。 住居跡の床面から、7点の石鍬がまとまって出土しています。
2003年3月撮影。