中山道と史跡・文化財

16.水戸屋(五家寶)

大里郡奈良村の名主吉田市右衛門が、天明3年(1783)の飢饉の際、焼き米を出して地元民に与えた。その後江戸の菓子商を呼び、水戸で作られていた「吉原殿中」に似た米粉の干菓子を作らせ、五家宝の原型となった。この菓子を街道宿場町の店舗にて売り出し、水戸屋四代目の水野市三郎が家の宝という名称として定着化させた。この菓子に五穀(米・麦・豆・粟・黍または稗)のうち米、麦(麦芽糖=水飴)、豆(大豆=黄粉)を使うことから、「五穀は家の宝である」として、五穀の豊穣を祈念してつけたといわれている。
 

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