常設展示室/文化財の部屋

板碑





嘉禄銘板石塔婆


嘉禄銘板石塔婆について

 国内に所在する板石塔婆の中で最古の紀年銘(嘉禄三年:1227)を持ちます。材質は緑泥片岩で、現状は、上半部の向かって左側の一部が欠失、右側の一部が二片となって現存します。内容は、上半部に阿弥陀如来の座像および二菩薩を彫出し、下半部に銘文を陰刻しています。総高は115cm、最大幅61cmを測ります。
 画像は、阿弥陀三尊像を宝珠状の光背に彫窪めて、中央に主尊を陽刻し、左右対称の位置に脇侍を主尊と同様陽刻しました。三尊像は、浄土信仰に基づく来迎像を表します。主尊は、頭光身光を彫窪め、その中央連座上に結伽扶座する阿弥陀如来をふくよかな半肉彫に仕上げ、両手は胸の位置で転法輪印印相を結びます。
 両脇に並ぶ仏は、左手に合掌した勢至菩薩・右に蓮実を抱いた観音菩薩で如来と同様半肉彫です。両菩薩とも礼拝者に対面するように中心寄りに体を傾け、連座上に膝を屈めた来迎姿勢で立ちます。光背は三尊とも独立した三光背式で、脇侍の光背は正しく左右対称となっています。
 銘文は、陰刻で偈頌と紀年銘からなり、次のような意味を持っています。

 諸教諸賛 (もろもろの経典のたたえる仏は)
 多在弥陀 (ほとんど阿弥陀如来のことです)
 故以西方 (ゆえに如来のおられる西方浄土を)
 而為一准 (礼拝の目安とするのです)

 紀年銘は風化が進み、不鮮明ですが、次のように判読できます。
 太歳 二十
嘉禄三年 六月  (1227年 6月22日 亥歳)
丁亥■二日

 嘉禄時代までの半世紀は、源氏平氏の戦いに始まり、畠山重忠を筆頭に武蔵武士の攻防がめまぐるしく、鎌倉幕府は、源氏三代の将軍から北条氏の支配へ固められた激動の時期でした。兵乱や政情不安定による国内不安に加え、嘉禄前後は全国的な飢饉が度々起こりました。わずか十年ほどの間に「貞応・元仁・嘉禄・安貞・寛喜・貞永」と次々に元号が改められています。

嘉禄銘板石塔婆の由来

 本板碑は、昭和8年10月に平野元三郎氏により発見されるまで、熊谷市須賀広地内の水田と小溝にかかる橋材として使用されていました。昭和6年7月に用水路の改修工事に伴い、釈迦寺に移転し、この時、上半分の折損を招いたと推測されます。大沼の改修工事完了後、沼中の弁天島に祀られ、弁天島の板碑として広く紹介され、町民等の親しむところとなりました。平成元年11月には、傷みの目立つ現品を収蔵庫に保管し、代わりに、復元模型を現地に設置しました。
 平野元三郎氏は、「考古学雑誌」上に、陽刻三尊像・最古の紀年銘と偈頌を有する板碑として報告し、稲村坦元氏も「埼玉史談」に全景写真と拓本を紹介しており、板碑の発生と展開について欠かせぬ資料となりました。
 その後、小沢国平・川勝政太郎氏・千々和 実氏等の研究により陽刻画像や、紀年銘について幾度か論述され、次のような事実や歴史的意義が提起されました。
1.主尊は、阿弥陀如来座像であった。
2.頭部に二条線があり、板碑の形式を持つ
3.偈頌は、天台宗系の「摩可止観補行」に出典を求められる。
4.嘉禄三年(1227)は板碑として最古の紀年銘である。
5.江南町に古期の板碑が所在していることの意義
上記のような事由から、昭和33年には江南町指定文化財第1号に指定されました。
昭和40年代に上部破片を失い、以来行方不明の期間が続きましたが、昭和63年江南町教育委員会の調査により上部破片右側を大沼の泥土中より発見され、改めて二条線を有する阿弥陀如来三尊像陽刻板碑であることが確認されました。平成2年3月には、埼玉県指定有形文化財に指定されています。

嘉禄銘板石塔婆復元品 昭和9年頃発見当時の嘉禄板碑
(埼玉史談7−2掲載)
昭和45年大沼公園弁天島の嘉禄銘板石塔婆
嘉禄銘板石塔婆主要参考文献
1935年 『考古学雑誌』25−1 「嘉禄の陽刻板碑」 平野元三郎
1936年 『埼玉史談』5−2 「大里郡小原村に嘉禄青石塔婆発見」 稲村坦元
1960年 『板碑入門』 小沢国平
1962年 『史跡と美術』第278号 「武蔵須賀広の嘉禄、寛喜板石塔婆について」 川勝政太郎
1965年 『東京都文化財調査報告』第2集 「武蔵野の板石塔婆」 稲村坦元
1969年 『日本仏塔の研究』 石田茂作 講談社
1972年 『武蔵国板碑集録』三 千々和 実
1972年 『仏教芸術』「板碑に見る中世仏教表現」 千々和 実
1972年 『日本歴史』第284・285号 「板碑源流考」 千々和 実
1973年 『史跡と美術』第416号 「初発期板碑の検討」 鶴岡静夫
1974年 『文化』創刊号 「首都圏内板碑の爆発的大量初現とその誘因」 千々和 実 駒澤大学
1976年 『日本歴史』第337号 「板碑精査が示す中世民衆仏教普及の実態」 千々和 実
1977年 『板碑の美』 西北出版社 鈴木道也
1978年 『日本石像美術辞典』「須賀広弥陀三尊板碑」 川勝政太郎
1980年 『埼玉県板石塔婆調査報告書』 埼玉県教育委員会
1980年 『板碑』 埼玉県立博物館特別展図録 有元修一
1981年 『武蔵野』第300号 「陽刻像板碑巡礼」 肥留間 博
1984年 『新版 仏教考古学講座』第三巻 「板碑」 千々和 実
1984年 『埼玉県立博物館紀要』11 「陽刻像板碑の類例と嘉禄銘板碑の復元」 有元修一 肥留間 博
1988年 『群馬県立歴史博物館紀要』9 「東国における画像板碑造立の展開」 磯部淳一
1992年 『埼玉県指定文化財調査報告書』第十八集 埼玉県教育委員会
2003年 『江南町の板碑』 江南町教育委員会

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