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熊谷市指定有形文化財 書跡
「両宜塾記(りょうぎじゅくき)」
両宜塾記の写真
所在地 妻沼(川口市)
所有者(管理者) 個人
時代:江戸
万延元年(1860)、土地の人々に請われて開いた塾舎「両宜塾」の開設にあたり、塾名の由来や塾舎の様子、自らの心境等を寺門静軒が記した書跡。正・副二点が残されており、副本は下書用に書いたもので、正本は一部訂正されて記されています。
【現代語訳】
「私は65歳、諸国を遊歴するのにも飽き、年老いてしまった。それなのに未だ定着する所が無い。この万延元年、妻沼に来訪したところ、歓喜院の住職と寺の世話人である鈴木・小池両氏が相談して、郷学を始めようとしていたが、師匠として迎えるものが決まっていないので、私を師匠に迎えたいとのことである。私は承諾して「私はその器ではなく、未だ終極を知らないが、ここで死ぬことになろうとも、背負ってきた包みを降ろし、初代の師匠としての名を残そう」と言った。そして土地を選んで建築にかかり、間もなく出来上がった。
南向きの家で、歓喜院からも近く、田に囲まれているようなところなので、塵や騒音もなく、読書するには極めて良い。東の方はのびのびとしていて、一里と隔てない所に利根川が横たわり、風に帆を張った船がときおり通る。魚笛の響きも聞こえ、筑波の峰もはっきりと見える。曇った日はほのかに、晴れた日はくっきりと、緑の光が欄間にまで差し込み、その風情は飽きることを知らない。
私はこの家を得て、宜しく老い、学ぶ者は私を得て宜しく学ぶべしというところから両宜塾と名付けた。また、事を起こすに当たっては、まず、自分自身から着手せよとの意味をとり、従静堂と号した。
請い願わくば、計り知れないほどの年を経るまで、これを残したいと思って、後から来て学ぶ者に知らせ伝える。
それ聖人の道は、よく親に仕え、兄弟仲良くすることで、孝弟が、孔子の教えの仁の本である。事実にそぐわない文にはしって実行を忘れてはならない。学問の道は、身を修めることが本義である。沢山の本を読んでも、天才といわれるほどの才能を持っていても、行いが道義からはずれている者は、学問をした人間とはいえない。葉や大根だけを食べていても様々なことは出来る。粗末な食事でも嫌ってはいけない。酒は仕事を怠けるもととなるので、戒めて飲まないほうが良い。掃除は子弟のやることであるから、骨惜しみをしてはいけない。心おごって人を侮り、他人を尊敬するという心を失ってはいけない。軽々しい行いをしてそしりを故郷に及ぼすことがあってはいけない。
その他の論ずべきことがらは、これから読む経伝の中にあるので、一々これを挙げないが、自分から省みるよう希望する。」
指定年月日 昭和37年8月30日