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吉田六左衛門(よしだろくざえもん)


吉田宗孝書山王霊神碑

名主。奈良村大字四方寺(現熊谷市)で代々名主を務める。吉田家は、戦国期に忍藩主の成田下総守長康に仕え、忍城落城後の天正期に四方寺に土着したと伝えられる。屋敷一町、内構へ堀から外構へ300町歩、石数五百石以上あり、寛永年間より酒造を行い、「四方春」を醸造した。村人は「六ぜんさま」と尊称し、分家の茂左衛門を「茂ぜんさま」「御西」と呼んだことに対し、六左衛門本家を「御東」とも呼んだ。初代元国、2代宗道、3代宗栄を経て分家し、13代宗孝、14代六郎、15代六左衛門。3代宗栄から分家したのが茂左衛門(お西)、6代宗重の第3子市十郎が享保11年下奈良に分家し、代々社会事業に尽くした吉田市右衛門初代宗以となる。

参考文献

  • 『熊谷人物事典』日下部一郎 1982年