現在の位置:ホーム > 熊谷の偉人の部屋 > 熊谷Person dictionary> 内田五八九

内田五八九(うちだごはく)(1787-1858)


「人の日や 落つきぶりに 雪少し 五八九」(円光二丁目報恩寺)

俳人。若くして京都成田蒼虬の門に入り、俳諧の道を極め、皓々処の号を授かり、始め北涯、阿鳥と号し、晩年に日永庵と号した。全国を巡り、安政四年(1857)71歳で故郷熊谷に帰り、星溪園近くの数寄屋造り庵を建て、芭蕉に因んで日永庵と称し後進の指導に当たった。明治40年6月15日71歳で没す。
報恩寺境内に句碑「人の日や 落つきぶりに 雪少し 五八九」が建立されている。碑裏面には「五八九居士中山道熊谷の人なり洛に蒼虬の門に入て風雅に推敲する事年あり 性旅を好ミ不知火の筑紫黄か年花さくみちのく山婦見ぬ隈なく奈む有ける 齢七十里に帰って親族内田氏の家に卒す はし免北涯また阿鳥晩に日永庵と号す祖翁熊谷の逸章を摘れるものか 曳常に無事をたうとふ故に一事も後世に遺すことなし 固郷数輩の風土も亦斯無為を貫ひ一章を刻して立石することしか里 元治二年乙丑三月十一日 渓斉旅星織」と刻まれている。

参考文献

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎