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戸井田欣栄(といだきんえい)(1826-1895)


戸井田欣栄筆塚碑

教育者。市内上須戸に生まれる。幼少より読書を好み、市内日向の三学院静旭堂の島田密翁(1816-1891)について書を学び、後、佐藤文庵について漢書の素読を学ぶ。また、寺門静軒が諸家に出張して講筵を行う集いに参加して経書を学んだり、江原村(現深谷市)の玄香庵市月(1804-1887)に俳諧を学ぶなど勤学意欲が旺盛な人であった。慶応元年には自宅の隠居屋を塾舎とし、和漢学、書、俳諧等を教えた。当初は付近の子弟を対象としていたが、次第に近隣からの入門者が増加したため、村内の西光院を借り受け講義を行った。明治6年学生発布により「須戸学校」が創立されると退職し、風雅を友とし晩年を過ごす。明治28年1月19日70歳で没す。  明治29年2月20日には、門弟たちにより西光院墓地内に筆塚の碑を建立している。碑銘の撰文は熊谷町晩成義塾の権田貞恒(春潮)があたり、辞世の句「この先に 都もありや 露の道 欣栄居士」と刻まれる。

参考文献

  • 『妻沼町誌』妻沼町 1977年