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堪能和尚(たんのうおしょう)(■-1828)

めぬま郷土かるた

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市内男沼長勝寺13世住職。寺小屋を設け、村人の子弟の教育に当たる。天明3年(1783)浅間山噴火により、男沼地域にも火山灰が積もった結果、利根川の河床が浅くなり、わずかな雨でも氾濫して田畑は荒れ作物ができない状態となった。困窮した村人は、上州金山の北方、丸山村に集団移住することを決意し、長勝寺で村民集会を開くが、その際、堪能和尚は、樋の開門で水位を調整する「樋門」の建設を提案し、村人は離村をとどまり、文化13年(1816)「男沼樋門」を完成させた。文政11年没す。
現在の男沼樋門(男沼)