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綾川武治(あやかわたけじ)(1891−1966)


綾川武治頌徳碑(市立武道館敷地内(江波))

大正から昭和時代の国家主義者、弁護士。市内善ケ島生まれ。宝蔵院境内の江波学校(長井尋常小学校)、幡羅高等小学校で学び、石坂養平(1885-1969)以来の秀才児と言われる。県立熊谷中学校から鹿児島高校を経て、大正5年東京帝京大学哲学科、同9年東京帝国大学英法科を卒業。東京帝大在学中「日の会」に参加。『東京大学新聞』の前身である『帝国大学新聞』の創刊に関わる。卒業後南満州鉄道に入社し、後「日本新聞」編集局長となる。北一輝、大川周明らを中心とした猶存社、大正14年大川周明の行地社創立に参画、昭和2年には天野辰夫と興国同志会を結成するなど、一貫して国家主義運動に携わる。昭和8年帝国新報社社長、昭和11年衆議院議員。昭和14年の日独伊三国同盟締結運動にも積極的に参加た。また、協調会蔵前工業専修学校、日本大学法学部、法政大学専門部等の講師をつとめた。戦後は弁護士を開業する傍ら、右翼団体結成などに関与し、日本革新同盟を結成した。著書に『満州事変の世界史的意義』。昭和41年75歳で没す。
 著書『人種問題研究』『白人文明、人種問題及日本』『近代思想と軍隊』『将来の戦争と近代思想』『世界史を転回せる日露戦争の偉業』『近代思想と軍隊』『将来の戦争と近代思想』『満州事変の世界史的意義』『我が人口問題の危機』ほか
昭和48年、市内江波の市立武道館敷地内に、頌徳碑が建てられている。

参考文献

  • 1977年『妻沼町誌』 妻沼町役場
  • 2014年『近代日本の国家主義エリート』 木下宏一
  • 2017年「『帝大新聞』創刊には、もう一人のキーパーソンがいた」『UP』1月号 清水あつし