読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

25話通殿・重殿ずーどん・じゅーどんー  

  ちょっと聞いただけでは、どんな意味か良く判らない地名が全国に多数あります。江南地区でも幾つか掲げることができ、初めて町を訪れた人も首をかしげることがあったろうと思います。今回紹介する 「通殿」・「重殿」は、そうした難解地名の一つです。
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通殿」は、ズードンと呼び慣らわせられ、「重殿」はジュードンといわれています。書き表わされる文字により発音が異りますが、「通殿」と「重殿」は同様の意味を持つと考えられています。「通殿」は、地区の東端に当り、小江川板井と境を接する場所で、県道熊谷・小川線が和田川を越える付近です。地形的にみると、ここは三方から流水の集中する場所です。北、西では、板井の耕地を通り抜けて来た和田川が、西・南から塩・小江川の丘陵より染み出る小川が流れ、雨水の一時に集中することもあるようです。川辺には、夜泣の激しい赤子を直す「夜泣地蔵」が建っています。「重殿」は須賀広にあり、大沼より下る用水と和田川の合流する付近に当っています。近くに「重殿」の名を持つ「重殿稲荷社」が重殿沼に面して祀られています。重殿地名の場所じたいは、江戸時代の代官田村氏の陣屋跡とされています。また、現在の小字地名に残っていない、いわば失われた地名の中に「通殿」があります。江戸時代の樋春(旧樋ノロ村)にあったことが町史調査による古文書調査から判っています。須賀広樋春を加え、旧江南町内に三ケ所の 「ズードン」地名があったことになります。
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通殿」、「重殿」は、地名辞典などによると水に関係した地名として説明されています。県内にもズードン地名が多くあり、ほとんどが江南地区のような場所を呼んでいます。表記される文字では、「通殿」・「重殿」の他に、上殿・尉殿・十殿・浄土野・頭殿と多く、これは地名の起源が古いことからさまぎまのあて字が用られることになったと思われます。神名や信仰の正体もまちまちであることが多いようですが、古代に渡来した信仰に基づくと考えられ、溝や川、淵に関連した神やその居場所をよんだようです。

 他の有力な説には「錠殿(鍵殿)」があります。これは奈良、平安時代に置かれた国府、郡郷の蔵を開閉する封印と鍵(印鎗:いんやく)の重要性から、印と鍵を神に祀ったのだろうといいます。河川、水路に面した場所に蔵を置くことは当時より一般的なことであり、岡部町で発掘された古代榛沢郡の正倉と推定される中宿遺跡の倉庫群の例があります。旧江南町の属していた男衾郡の蔵が周辺にあったとも考えられるかもしれません。蔵は収穫物、特に穀物を収蔵した蔵であり、穀物の神である稲荷神が結びつくことは容易なようです。新たな調査毎に、おぼろげに地名の由来が見えてきました。


 通殿の夜泣地蔵の写真
通殿の夜泣地蔵

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