読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

31話姥ヶ沢うばがさわー  

  姥ヶ沢」は、千代地区にある地名で、西憐の旧川本町と接しています。旧川本町側では、本田地区の小字地名として「姥ヶ谷」と呼び、町域の差によって谷と沢に呼び分けていますが、本来は同一の地名と考えられます。
 地形的には、江南台地に入り込む狭く長い谷合いをいいます。原始・古代から住み良い場所であったらしく、縄文、弥生時代の住居跡が多数見つかっています。

 地名に使われる 「姥」 は、本来山姥・姥神のように異常・異能の力を持つ老女、鬼女をいいます。又は、地獄で亡者の衣類を剥ぐ「シヨウ塚の婆さん」と呼ばれる「奪衣婆」のイメージが重なります。
 これらには、通常の人とは異る強い生命力を持った祀られることの少なかった神の姿を原形に見ることができます。たとえば、人を取って喰うと語られる山姥の変幻自在の力を示す物語や、金太郎を育てた山姥の母性と地母神的な生命力を語る話などが日本の各地に点在しています。これらの昔話は、山姥・姥神が「地母神」として生活の身近にあったことを証す確かな痕跡であろうと思います。
 もう一つの姥には物怪の類の聖霊が住むと考えられていた場所をいう場合があったことです。それに加えて、悲劇的な惨劇が関わっていることか多いようです。有名な黒塚伝説は、姫君を養育していた乳母か、病弱な姫に効く薬として人間の肝を手に入れようとし、乳母を追って来た姫を誤って殺してしまい。そのために鬼女となり果てた悲劇的な因果物語です。

 このような、姫君とその養育係としての乳母とが悲劇的な最期を遂げる物語は、すべて史実かどうかは別にしてもよくみることができます。江南地域の場合でも、「鉢形城」落城に関わる悲話として「姥ヶ沢」の地が語られていたようです。
 鉢形城は、天正18年(1590)6月に落城しています。史実では、助命を条件に開城とあります。伝説ではこの時、姫と乳母は荒川を下り江南の地まで逃げのびたというものですが、地名の由来を考える時、これは事実かどうかはあまり重要ではありません。地名に事寄せて、鉢形落城を記憶した先祖の知恵にこそ注意する必要があります。この事件以後、旧江南町を含む荒川一帯の地域は、武川衆をはじめとする新来の支配者を多数迎え、徳川氏の領国として確実に組み込まれていくのです。

 この大きな時代の変換点に当って、新天地を拓く意気込みにあふれた人々の背後に、じっと息をひそめた者達もあったと思われます。このような世情の中で、旧勢力の最期となった鉢形落城伝説が語られる意味は、鎮魂の比重が高かったと思えます。さらに、この意味が地名にあるとしたら、乳母は神や仏に語り高められ、地母神としての山姥や、姥神に成長していったと考えられます。


 姥ヶ沢沼近景写真
姥ヶ沢沼近景

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