読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

   桜山さくらやまー  

春を彩る花というと真っ先に思い浮かぶのは「桜」であろうと思います。明るい淡紅色に風景が染められていく様子は季節の始まりを告げる主役として広く親しまれています。私たちの祖先も桜には特別の感情を抱いていたことが各地に残る桜の名所・物語・記録からうかがうことができます。

桜に関係した地名は、「桜山」「桜丘」が板井地区に残っています。現在の県立循環器・呼吸器病センターの一帯をいいます。近くには平安時代に創建されたと伝えられる長命寺跡があり、長命寺桜と呼ばれた古木が有名でした。『新編武蔵風土記稿』の長命寺には、「当時には、2,3町隔てて開山塔の傍に古木の桜あり、俗に長命寺桜と唱へり、もとの木は枯れて今の木は後に植継しものなり」と記載されている。開山塔はどこに建てられていたか不明だが、傍の桜は遠目にもきわだち印象強かったろう。信仰と共に800年余り、代替わりしながらもそこに桜はあったと思われ、地名の由来に結びつくと考えられます。長命寺は明冶初年に廃寺となり、開山塔も失われました。しかし、傍の桜の記憶は地名となって残っているといえます。

古くから桜は寺社と関りの深い木です。天から下った最初の神ホノニニギノミコトは山をつかさどる神(大山津見神)の娘木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)に求婚します。この物語は米作りと豊作を占う儀式があって、それが少しづつ形を変えて現在に至る様子を考えさせます。天孫ホノニニギは天皇家の直接の祖先とされ稲穂がにぎにぎしく稔るという意味を持ち、稲魂が神格化されたと考えられています。木花とは桜のことで、「さ」は早苗・早乙女と同じく穀霊を、「くら」は神の居る「神座(くら)」を意味するとされます。桜は稲の神が宿る神聖な木であったようです。桜を切らぬよう戒めた理由もこの辺に含みがあるのかもしれません。

桜の咲く頃は農作業の始まる時節で、春耕や種まきなどの作業の他にその年の豊作を願う行事が行われていました。4月8日は山に入り山神を迎える花見を行います。迎えた山神は田を守り豊作を約束してくれます。このような花見の風習は豊作を祈る集落全体の行事として各地で行われていました。仏教の普及以降、本来「潅仏会(かんぶつえ)」という釈迦誕生祭が豊作祈願の行事と混じり、花祭りといえば仏教行事を意味するようになりました。しかし、花を神社に献じて豊作を願う儀式は現代まで行われており、古代から変わらぬ願いや意義が花祭りの奥底に流れているようです。

今は行楽気分の花見は、豊作を祈り神を迎える儀式に源流をたどれるようです。かつて、文字通り桜の美しく咲く桜山の地へ、近隣の人々が集い厳粛に花見を取り行う姿を想像することも可能です。


現在の桜山付近
現在の桜山付近

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